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城所愛子様(フロイデコア)から、すばらしい俳句のご投稿を頂きました。
美しいクリスマスのウィーンの情景が懐かしく思い出されます・・・・。

 

  旅 立 ち の 弾 む 心 や 冬 帽 子
 
  冬 す ば る 世 界 に 響 く フ ロ イ デ コ ア
 
  シ ャ ガ ー ル の 赤 に と き め く 美 術 館
 
  焼 き た て の 露 天 の ワ ッ フ ル 冬 ぬ く し
 
  余 生 な お 託 す 夢 あ り 霜 月 夜

 ウィ-ンの「国境なき合唱団」に参加して、第2の人生の第一ゴールを達成した満足感に浸っていて、私の第九合唱への道を省みずに居られなくなった。

本当に良い企画に巡り会えたと思う。

私は昭和12年生まれで、小学校前から母が歌う唱歌などを訳も分らずよく歌っていたらしい。
母や姉達が大きくなったら歌手になるかとよくからかっていた由。高学年になると音楽好きで、
機械・算数好きがはっきりして来て、上級生が歌うなじみ易い歌を聞くと早く習いたいと思うし、
音楽教室から歌が聞こえると、先生の話など何も聞こえなかった。

中学では、外国の音楽、音楽家の事をより学ぶようになった。
日本・世界の状況としては中一(1949年)では生まれて初めての大洪水に見舞われ、
中二では朝鮮戦争が起こり、大変な時代であった。中三になると音楽もより高度になり、
音楽の教科書の最後近くには「歓喜」が載っていて、歌の名前としては聞いた事も無かったが、
とても有名なベートーヴェンのとても親しみやすい曲である事が分り、早くこの教科がここまで
進むのを期待する毎日であったが、どうしたことか、これより何曲も前までしか進まず、
卒業してしまう事になりとても残念に思った。
多分当時では「歓喜」を教える先生は居なかったのでは・・・・。

***

昨年70歳になり、海外旅行は元気なこの4~5年のうちにとの妻の主張、希望に任せて5月は東独→チェコ→オーストリア→ハンガリー、10月にはトルコ西半周の旅行を計画し、11月上旬には地元での第九が予定されているところに、11月末の「国境なき合唱団」の企画を発見し、予定が詰まってしまい一瞬の迷いはあったが、第九合唱の第一のゴールは、そのうちにベルリンかウィーンと希望を持っていた上に、「歌の翼に」で憧れの第九へ後押しして頂いた鮫島有美子さんが「国境なき合唱団」の第一部で出演される事を知り、即刻申込をした。

ここで初めて、人と人との出会いの重大さを思い知った。
二度と無いタイミングであり、神が巡り合わせてくれたと感謝している。

ソフトでやさしい歌声の主、鮫島有美子さんのお姿を間近で拝見し、直接言葉を交わし、
並んで写真を撮影できたのは、私にとって最高の喜びであった。

「国境なき合唱団」が恵まれない子どもたちへの支援と抱き合わせで活動していることで、
単に参加者者だけが幸せを独占するのではなく、不幸な人々にも幸せを分配することで、
参加者の心が救われる好ましい形だと思う。

日本人が第九を日本国内だけでなく、世界中に出て行って合唱するのは、シラーの歌詞の様に世界人類は皆兄弟であり、手を取り合い、抱きあい、紛争を解決したいという願い、祈りの心を世界に発信している事を、堂々と発表・主張して欲しい。

さて、合唱練習については第一部(さくらコア)と第二部(フロイデコア)で原則いずれかの
選択であったが、さくらコアは私にとって新しい曲もあり地方在住で練習参加が難しいため、
結局フロイデコアの選択となった。

合唱指導の佐藤一昭さんは初めてであったが、第九にしてもコアとなる固定的合唱団ではなく、
全国からの寄せ集めの殆ど素人を2ヶ月でまとめるのは大変ご苦労な事であったと推察したが、
とても良い人柄で、団員は勝手が分らず控え目に声を出すので、声は揃わず全体を纏めるのは
難しいものとなった。しかし本番となると、参加者は注意事項を守って精一杯の声を出し、
歌う人も視聴する人も大いに感動したと思う。

一般観光旅行では期間内に多くの観光を詰め込み、ホテルは毎日変わり、旅行中は長距離の
バスドライブに多くの時間を費やし、感心の無いところの観光について廻り、かつ参加者全体に
共通した関心事項が無く、必ずしも楽しい旅行では無いように思ったし、勝手に期待した音楽も
無かったのが前述の中央ヨーロッパやトルコ旅行であった。

それに対し、「国境なき合唱団」では参加者全員が共通の合唱という目的がしっかりしていて、
話題も共通していて、参加者が親しく話し合えてとても良い雰囲気で本当に楽しい旅行であった。

また、添乗員の方々はとても真剣に行き届いた気配りをされ、他の旅行に比しより楽しい旅であったし、ホテルに専用デスクを設けて充分なスタッフの丁寧な対応は、一般観光では考えられない良い企画であった。

本番の日は練習・ゲネプロで大体1日中詰まっていたが、その前の2日間は正午から午後は
練習で、午前中は小旅行、夕方からはオペラ・ワルツの鑑賞とその後の夕食・ワインに音楽が
ついてリクエストもでき、参加者は手拍子や声を出して音楽に合わせて、本当に打ち解けて
楽しむ事が出来たと思う。

本番そのものは感動一杯になり、その上にホテルでの打ち上げパーティには指揮者・ソリスト・合唱団の多くが参加し、写真を撮り合ったり大盛会であった。

 

この様な楽しい第九の第一のゴールとして、ウィーンの合唱を楽しむ事が出来たのは、
私にとっては生涯の大きな記念となった。

これも神が与えてくれたと感謝せずには居られないことであった。

昨年11月28日夜、夢のようなウィーン音楽旅行から意気揚々と帰宅し、我が家の女たちに鮫島有美子さんや指揮者のダニエルさんとのツーショット写真とお土産をみせながら「ウィーンで第九を歌ってきたぞ。どうだ!」と勇んで言ったら返ってきたのは「ウィーンへ行ってきたのはわかった。でもあの外れた音程とお経のような声で「第九」を歌えるはずはない。わざわざ口パクしにウィーンまでご苦労様。それよりもっとましなお土産はないの。」との言葉に当方唖然。どうやら我が家では、海外で「ふるさと」等日本の歌を聴く感慨を話しても無駄なようです。
以下、私のウィーン音楽紀行を記しましたのでご覧いただければ幸いです。

1.34年ぶりの「第九」とお経騒動
私は合唱団に入っているわけではありませんが、友人が男声合唱をやっていた影響もあり、34年前学生時代に1度だけ「第九」を歌いそれ以降一切歌っておりませんでした。ところが、昨年9月中旬、日経夕刊にウィーン楽友協会で歌う「第九」合唱団員募集の広告が載り「1年前に聴いた楽友協会大ホールでのコンサートをまさか自分がステージにあがって歌うなんて。こんなことがあるのか。これは何としてでも行かなくては!」運良く年1回取れる1週間の休暇をまだ取っていなかったので、仕事を懸命にこなし10月第1週に駆け込みで申込みどうにか参加できました。それからは、34年前の練習用テープを引張りだし家内と娘から「お経みたい。音程がなってない。”第九狂騒曲”で日本人の恥をさらしに行くの。」等罵詈雑言を浴びながらも「人間は成長するんだ。今にみておれ。絶対に見返してやる。」との一念で日曜日の全体練習の他に往復の通勤に毎日5回第4楽章を聴き、更に仕事から帰って毎晩10時から一人で練習しましたが、家内がご近所から「この頃、夜お宅でお経があがっているようですけれど何かあったんですか?」と言われたには参りました。いろいろありましたが、何はともあれ11月22日一路ウィーンへ旅立ちました。

2.アンネット・カズエ・ストゥルナートさんと「ウィーンわが夢の町」
私には音楽の好きな人に必ず薦める一冊の本があります。それは「ウィーンわが夢の町」(新潮社刊)。想像もできない苦労の末、東洋人ではじめてウィーン国立歌劇場の団員になったアンネット・カズエさんの自叙伝です。私が今回の旅行に参加する理由の一つは、楽友協会で歌う「第九」とともに、この本で書かれているウィーンのすばらしさを見てみたいこともあります。なお、この本はさくらコアの方々が歌われた曲が本の題名となっていますので、ご存知の方もいるかもしれませんが、是非読んでみてください。
そう言いながら、私はこれまで肝心の彼女の歌を聴いたことがなくいつか聴きたいと思っていたのですが、幸運にもJALの機内設備に彼女の歌う曲が入っていたのです。予想していたとおり彼女の人生経験がにじみ出たすばらしい石川啄木の「初恋」を何度も聴きいり、出だしから幸先のいい旅となりました。

3.コンサート三昧
また、今回の旅行は、音楽の都でコンサート三昧に浸ることも目的でした。
23日は、真っ先にチケットセンターへ行きオペラ座の「トスカ」のチケットを買おうとしましたが、既に満員で買えませんでした。代わりに行ったフォルクスオーパーのガラコンサートでは佐藤先生も来ていて、先生が教えてくれたオペレッタの往年の大スターのペーター・ミニッヒ(日本では三波春夫のような存在でしょうか)が80歳を超えるとは思えない張りのある声で地元の聴衆から喝采を受けもう大変な盛り上がりでした。
24日は、クアハウスでウィンナワルツのコンサートを聴きましたが、その前に行ったホイリゲのワインが効いたせいか殆ど居眠り状態でアンコールのラデツキー行進曲で漸く目覚めた次第。
25日は、練習を挟んで楽友協会とオペラ座をハシゴしました。朝一番で新潟のAさんとシュテファン大寺院で礼拝を見た後、塔の上からウィーンを見ようとバッタリ出会った合唱団の自称天使(?)さんにエレベーター乗り場を教えてもらい塔に入りましたが、いくら階段を上がっても乗り場はなくとうとう高さ67mの展望台まで階段でいく破目に。後でサロンパスのお世話になったのは言うまでもありません。
愚痴をこぼしている暇もなく11時から楽友協会のコンサートに。演奏はリカルド・ムーティ指揮ウィーンホフムジーク管弦楽団と合唱団で日本ではまず私が聴くことはないハイドンのミサ曲とケルビーニの宗教曲を聴きました。合唱はテノールとバスが両端に各9名、中央に少年合唱団が48名、それにソプラノとテノール、バリトンのソロが加わり海外で聴く宗教曲の清冽で荘厳な雰囲気に実家が日蓮宗の私も身が引き締まる思いでした。さあ、明日はいよいよ我々があの場所に立つのだと決意を新たにするとともに、今日66名でこれだけできるのなら我々は180名いるのだから質は人数でカバーできるはずだと都合よく解釈し俄然やる気がでてきました。(佐藤先生,不出来な生徒で申し訳ありません。)

夜は、国立歌劇場でグノーのオペラ「ロミオとジュリエット」を鑑賞しました。噂にたがわぬすばらしい建物でここでも歴史の重みと音楽が社会生活の一部となっているのをまざまざと見せ付けられました。オペラが始まると時差ボケと練習疲れで不覚にもまたコックリをやってしまい同じボックス席にいたパリから来た気さくなご夫婦の奥様が話しかけたり、指で肩をトントン叩いて起こしてくれるのですがどうにもなりません。幕間に片言の英語で事情を説明しお詫びしたら逆に激励される始末。記憶に残っているのは、ジュリエットが自転車に乗ってでてきて変わった演出だなあと思ったことぐらいで、先ほどの楽友協会での決意はなんだったのかと反省するも強烈な睡魔を防げず全ては明日に。

26日、いよいよ本番当日。午前10時、最後の練習となる会場のコンツェルトハウスへ到着。楽友協会とは異なる壮麗さに言葉もない。ウィーンの人たちが愛してやまないホールだというのも納得せざるをえない。私は上野の旧奏楽堂の会員でよく行くのですが、改めてウィーンの歴史や文化の奥行きの深さや偉大さを感じさせられました。
17時30分楽友協会でゲネプロ開始。楽友協会には1年前に今をときめくファビオ・ルイージ指揮のウィーン交響楽団のコンサートを聴き評判どおりの音響のよさに目をみはりました。また昨日も来ているせいか割合落ち着いて佐藤先生の注意事項を思い出しのぞめました。しかし、いざ本番が始まると指揮棒だけに集中したためか無我夢中で第4楽章はアッという間に終わってしまいました。私の人生で最も集中力が凝縮した時間でした。歌っている私には結果はわかりませんでしたが、聴衆の一部の人は立ち上がって拍手してくれ、事務局の王野さんも泣いて喜んでくれたので漸く終わったんだと気づき達成感と充実感に浸ると同時にドッと疲れステージから降りた後、椅子に座り込んでしまいました。

でも、なんと心地よい疲労感か。夢見心地とはこういうことなんだと実感しました。

 

4.親切なウィーンの人たちと要注意の外国人
ウィーンの人たちは流石に観光立国だけあって皆さん非常に親切でした。私は自他共に認める方向音痴なのですが、ウィーン到着の翌日一人でリンク通りを散策しオペラ座から本番当日練習会場となるコンツェルトハウスを見ておこうと思い寄り道をしながら向いました。しかし、案の定道に迷ってしまい、たまたま通りかかった散歩の途中と思われる70歳位の老紳士に道を訊ねたところ、わざわざコンツェルトハウスが見えるところまで案内してくれました。恰幅がよく穏やかで品があり、ちょうどサヴァリッシュさんを身長を高くしたような感じで私もこのように歳をとれたらいいなと思わせる人でした。お礼を言い握手をして別れましたが、写真を撮らせてもらえばよかったと後で後悔しました。
また、ホテルに近い地下鉄の駅で「フォルクスオーパーへ行くのにこの列車でいけますか」とホームにいたご婦人に訊ねました。一緒に同じ列車に乗りましたが、混んでいたので彼女はいすに座り私は少し離れたドアの近くで立っていました。乗り換え駅に着いた時、気づかない私にわざわざ席を立ってやってきて乗り換えを教えてくれました。困ったときや間違える前に注意してくれる海外での親切は身に沁みてありがたいものです。この他にもちょっとした事でも丁寧に教えてくれ皆さん大変親切でした。ウィーンでは至るところですばらしい建物や芸術に接することができますが、その元にはウィーンの人たちの善意があるのではないかと感じた次第です。

その反面、これとは正反対の経験もしました。市庁舎前の大通りで写真をとっているとブラジルから来たという旅行者に「ホテルフィガロにはどういったらいいか」と聞かれたので「わからない」と答えたら「どこからきたのか」「そのカメラはどこのメーカーか」としつこく聴いてきます。適当に答えていたら、警察官と名乗る刑事コロンボ風の小奇麗なコートを着たラテン系の男がいきなり間に入ってきて「パスポートを見せろ」といってきました。私に話しかけてきた旅行者はすぐみせましたが、私は旅行用ベルトに巻いているのですぐだせません。こんな大通りでズボンを下ろすわけには行かないのでモジモジしていると警官と称する男が「持っている外貨を見せなさい」といってきました。旅行者は分厚いドル紙幣をすぐみせたのでこれはおかしいと思い「警察へ行って話そう」というと、「自分は警官だ」と言って身分証明書をみせました。私が「写真がないではないか。警察へ行こう。」と言って市庁舎の方へ歩き出すと反対方向へ逃げていってしまった。旅行者もいつの間にかいなくなっており二人はグルだったとわかりました。もしベルトをしていなかったら言われるままにパスポートを出していたと思います。ウィーンはヨーロッパでは治安のいい都市ですが、それでも私のように一人や少人数で外出するときは外国人による詐欺に注意してください。

5.すばらしい仲間たちと
私は音楽的な訓練を殆どやっていませんので楽譜も読めず、音程も正確ではありません。練習で「もう一度Mコーラスから」といわれても何のことやらわかりませんでした。こんな私が楽友協会で「第九」を歌えたのも練習の時からいろいろアドバイスをもらったり気持ちを和らげてくれたすばらしい仲間がいたからです。練習から本番まで隣でいつも美声でお手本になってくれた千葉のHさんと名古屋のBさん、日本山岳会会員でよく絵葉書をくれる新潟のAさんと「新潟では女性が強すぎて杉の木と男の子は育たない」と公言して憚らない元気な女性陣、口うるさい我が家の女たちに見せる証拠写真をとらねばと聞き鮫島有美子さんとのツーショットを撮ってくれた小田原のSさん、一日一善がモットーなのに結果は一日一悲劇となる自称天使のYさん(本番に衣装を忘れてきた人)、寒かった本番当日一緒にラーメンを食べ人を落ち着かせる雰囲気を持つ世田谷のKさんと第九を聴きにきてくれた現地のラーメン亭「ほのぼの」のオーナーさん、ホイリゲで同じテーブルとなったのが私の運の尽きか、私のリクエスト曲を無視しチップだけ受け取った伴奏者に間髪を入れず自分のリクエストをだした荒川のチャッカリMさんとYさん、ボランティア参加で歌われませんでしたがお二人でウィーンを存分に楽しまれた横浜のおしどり夫婦のRさ
んご夫妻、今年3回目のウィーンで大変なオペレッタ通のTさん等々皆さん大変お世話になりました。

年に1回くらい同窓会をしたいものです。次の機会にも是非また一緒に歌いましょう。

6.我が家の「第九狂騒曲」は永遠に
年が明け平成20年1月6日、上野の新奏楽堂で東京芸大の創立120周年記念音楽祭のフィナーレを飾るコンサートがあり「第九」を聴きました。演奏は、小林研一郎さんの指揮で世界各地から集まった芸大OBと先生方による記念オーケストラと合唱団、ソロは林康子(S),伊原直子(A)、吉田浩之(T)、福島明也(B)の皆さん。第一楽章から迫力と緊張感にあふれ思わず身を乗り出したくなるすばらしい演奏でした。そして、圧巻は最終楽章。合唱も力強さと繊細さを併せかつ気品のあるものでした。このような演奏は滅多にきけるものではなく海外の一流といわれるオーケストラ等聴く必要はないと思わせる熱演にホールも興奮と熱狂の坩堝となり、帰るに帰れないコバケンさんも会心の演奏だったと挨拶していました。年初から最高の「第九」を聴けて今年はよい年になりそうだと思いながら清々しい気持ちで帰路につきました。
ところが、家に帰って私が「今日の“第九”は最高だった。あれ位歌えればなあ。」と言ったら可愛いげのない娘曰く「そんなの簡単じゃない。お父さんが歌わなければいいんじゃない。ちゃんとオーディションをやって落とすべき人を落とせばすぐ出来ることでしょ。目の前に該当者が一人いるけれど。」当方は例によって唖然としつつも「うるさい。今年も“第九“を歌うからな。“第九“は永遠だ。」と言うのが精一杯。

それから数日経った11日の合唱団の懇親会。まだ2ヶ月も経っていないのに何故か懐かしい人々と会いアルコールも進みいい気持ちでいたら、佐藤先生が挨拶で娘が告げ口をしたのではないかと思うような「次回参加者が多い場合はオーディションをやって篩いにかける」といったので酔いが一遍に醒め、思わず私は「免除!」と大声で叫んでいました。

このように不出来な生徒で大変ご迷惑をおかけしましたが、私のような者でも何とか「第九」を歌うことができました。次回もこのような企画があれば、ぜひ多くの方が参加されると良いと思います。ただ、「国境なき合唱団」第1回参加者に対しては次回特段のご配慮を切にお願いして筆をおかせていただきます。拙い文にお付き合いいただきありがとうございました。

また、ご指導いただいた佐藤先生、原先生、王野さんはじめ事務局の皆さん、本番のステージにあがる通路で「ガンバッテ」と励ましてくれたウィーンの皆さん、そして合唱団の皆さん、去年まででしたら考えもできなかった夢のような7日間を一緒に過ごせたことを感謝します。

私にとって、まさに「ウィーンわが夢の町」でした。
本当にありがとうございました。

 昨年11月28日夜、夢のようなウィーン音楽旅行から意気揚々と帰宅し、我が家の女たちに鮫島有美子さんや指揮者のダニエルさんとのツーショット写真とお土産をみせながら「ウィーンで第九を歌ってきたぞ。どうだ!」と勇んで言ったら返ってきたのは「ウィーンへ行ってきたのはわかった。でもあの外れた音程とお経のような声で「第九」を歌えるはずはない。わざわざ口パクしにウィーンまでご苦労様。それよりもっとましなお土産はないの。」との言葉に当方唖然。どうやら我が家では、海外で「ふるさと」等日本の歌を聴く感慨を話しても無駄なようです。

以下、私のウィーン音楽紀行を記しましたのでご覧いただければ幸いです。

1.34年ぶりの「第九」とお経騒動
私は合唱団に入っているわけではありませんが、友人が男声合唱をやっていた影響もあり、34年前学生時代に1度だけ「第九」を歌いそれ以降一切歌っておりませんでした。ところが、昨年9月中旬、日経夕刊にウィーン楽友協会で歌う「第九」合唱団員募集の広告が載り「1年前に聴いた楽友協会大ホールでのコンサートをまさか自分がステージにあがって歌うなんて。こんなことがあるのか。これは何としてでも行かなくては!」運良く年1回取れる1週間の休暇をまだ取っていなかったので、仕事を懸命にこなし10月第1週に駆け込みで申込みどうにか参加できました。それからは、34年前の練習用テープを引張りだし家内と娘から「お経みたい。音程がなってない。”第九狂騒曲”で日本人の恥をさらしに行くの。」等罵詈雑言を浴びながらも「人間は成長するんだ。今にみておれ。絶対に見返してやる。」との一念で日曜日の全体練習の他に往復の通勤に毎日5回第4楽章を聴き、更に仕事から帰って毎晩10時から一人で練習しましたが、家内がご近所から「この頃、夜お宅でお経があがっているようですけれど何かあったんですか?」と言われたには参りました。いろいろありましたが、何はともあれ11月22日一路ウィーンへ旅立ちました。

2.アンネット・カズエ・ストゥルナートさんと「ウィーンわが夢の町」
私には音楽の好きな人に必ず薦める一冊の本があります。それは「ウィーンわが夢の町」(新潮社刊)。想像もできない苦労の末、東洋人ではじめてウィーン国立歌劇場の団員になったアンネット・カズエさんの自叙伝です。私が今回の旅行に参加する理由の一つは、楽友協会で歌う「第九」とともに、この本で書かれているウィーンのすばらしさを見てみたいこともあります。なお、この本はさくらコアの方々が歌われた曲が本の題名となっていますので、ご存知の方もいるかもしれませんが、是非読んでみてください。
そう言いながら、私はこれまで肝心の彼女の歌を聴いたことがなくいつか聴きたいと思っていたのですが、幸運にもJALの機内設備に彼女の歌う曲が入っていたのです。予想していたとおり彼女の人生経験がにじみ出たすばらしい石川啄木の「初恋」を何度も聴きいり、出だしから幸先のいい旅となりました。

3.コンサート三昧
また、今回の旅行は、音楽の都でコンサート三昧に浸ることも目的でした。
23日は、真っ先にチケットセンターへ行きオペラ座の「トスカ」のチケットを買おうとしましたが、既に満員で買えませんでした。代わりに行ったフォルクスオーパーのガラコンサートでは佐藤先生も来ていて、先生が教えてくれたオペレッタの往年の大スターのペーター・ミニッヒ(日本では三波春夫のような存在でしょうか)が80歳を超えるとは思えない張りのある声で地元の聴衆から喝采を受けもう大変な盛り上がりでした。
24日は、クアハウスでウィンナワルツのコンサートを聴きましたが、その前に行ったホイリゲのワインが効いたせいか殆ど居眠り状態でアンコールのラデツキー行進曲で漸く目覚めた次第。
25日は、練習を挟んで楽友協会とオペラ座をハシゴしました。朝一番で新潟のAさんとシュテファン大寺院で礼拝を見た後、塔の上からウィーンを見ようとバッタリ出会った合唱団の自称天使(?)さんにエレベーター乗り場を教えてもらい塔に入りましたが、いくら階段を上がっても乗り場はなくとうとう高さ67mの展望台まで階段でいく破目に。後でサロンパスのお世話になったのは言うまでもありません。
愚痴をこぼしている暇もなく11時から楽友協会のコンサートに。演奏はリカルド・ムーティ指揮ウィーンホフムジーク管弦楽団と合唱団で日本ではまず私が聴くことはないハイドンのミサ曲とケルビーニの宗教曲を聴きました。合唱はテノールとバスが両端に各9名、中央に少年合唱団が48名、それにソプラノとテノール、バリトンのソロが加わり海外で聴く宗教曲の清冽で荘厳な雰囲気に実家が日蓮宗の私も身が引き締まる思いでした。さあ、明日はいよいよ我々があの場所に立つのだと決意を新たにするとともに、今日66名でこれだけできるのなら我々は180名いるのだから質は人数でカバーできるはずだと都合よく解釈し俄然やる気がでてきました。(佐藤先生,不出来な生徒で申し訳ありません。)

夜は、国立歌劇場でグノーのオペラ「ロミオとジュリエット」を鑑賞しました。噂にたがわぬすばらしい建物でここでも歴史の重みと音楽が社会生活の一部となっているのをまざまざと見せ付けられました。オペラが始まると時差ボケと練習疲れで不覚にもまたコックリをやってしまい同じボックス席にいたパリから来た気さくなご夫婦の奥様が話しかけたり、指で肩をトントン叩いて起こしてくれるのですがどうにもなりません。幕間に片言の英語で事情を説明しお詫びしたら逆に激励される始末。記憶に残っているのは、ジュリエットが自転車に乗ってでてきて変わった演出だなあと思ったことぐらいで、先ほどの楽友協会での決意はなんだったのかと反省するも強烈な睡魔を防げず全ては明日に。

26日、いよいよ本番当日。午前10時、最後の練習となる会場のコンツェルトハウスへ到着。楽友協会とは異なる壮麗さに言葉もない。ウィーンの人たちが愛してやまないホールだというのも納得せざるをえない。私は上野の旧奏楽堂の会員でよく行くのですが、改めてウィーンの歴史や文化の奥行きの深さや偉大さを感じさせられました。
17時30分楽友協会でゲネプロ開始。楽友協会には1年前に今をときめくファビオ・ルイージ指揮のウィーン交響楽団のコンサートを聴き評判どおりの音響のよさに目をみはりました。また昨日も来ているせいか割合落ち着いて佐藤先生の注意事項を思い出しのぞめました。しかし、いざ本番が始まると指揮棒だけに集中したためか無我夢中で第4楽章はアッという間に終わってしまいました。私の人生で最も集中力が凝縮した時間でした。歌っている私には結果はわかりませんでしたが、聴衆の一部の人は立ち上がって拍手してくれ、事務局の王野さんも泣いて喜んでくれたので漸く終わったんだと気づき達成感と充実感に浸ると同時にドッと疲れステージから降りた後、椅子に座り込んでしまいました。

でも、なんと心地よい疲労感か。夢見心地とはこういうことなんだと実感しました。

 

 

4.親切なウィーンの人たちと要注意の外国人
ウィーンの人たちは流石に観光立国だけあって皆さん非常に親切でした。私は自他共に認める方向音痴なのですが、ウィーン到着の翌日一人でリンク通りを散策しオペラ座から本番当日練習会場となるコンツェルトハウスを見ておこうと思い寄り道をしながら向いました。しかし、案の定道に迷ってしまい、たまたま通りかかった散歩の途中と思われる70歳位の老紳士に道を訊ねたところ、わざわざコンツェルトハウスが見えるところまで案内してくれました。恰幅がよく穏やかで品があり、ちょうどサヴァリッシュさんを身長を高くしたような感じで私もこのように歳をとれたらいいなと思わせる人でした。お礼を言い握手をして別れましたが、写真を撮らせてもらえばよかったと後で後悔しました。
また、ホテルに近い地下鉄の駅で「フォルクスオーパーへ行くのにこの列車でいけますか」とホームにいたご婦人に訊ねました。一緒に同じ列車に乗りましたが、混んでいたので彼女はいすに座り私は少し離れたドアの近くで立っていました。乗り換え駅に着いた時、気づかない私にわざわざ席を立ってやってきて乗り換えを教えてくれました。困ったときや間違える前に注意してくれる海外での親切は身に沁みてありがたいものです。この他にもちょっとした事でも丁寧に教えてくれ皆さん大変親切でした。ウィーンでは至るところですばらしい建物や芸術に接することができますが、その元にはウィーンの人たちの善意があるのではないかと感じた次第です。

その反面、これとは正反対の経験もしました。市庁舎前の大通りで写真をとっているとブラジルから来たという旅行者に「ホテルフィガロにはどういったらいいか」と聞かれたので「わからない」と答えたら「どこからきたのか」「そのカメラはどこのメーカーか」としつこく聴いてきます。適当に答えていたら、警察官と名乗る刑事コロンボ風の小奇麗なコートを着たラテン系の男がいきなり間に入ってきて「パスポートを見せろ」といってきました。私に話しかけてきた旅行者はすぐみせましたが、私は旅行用ベルトに巻いているのですぐだせません。こんな大通りでズボンを下ろすわけには行かないのでモジモジしていると警官と称する男が「持っている外貨を見せなさい」といってきました。旅行者は分厚いドル紙幣をすぐみせたのでこれはおかしいと思い「警察へ行って話そう」というと、「自分は警官だ」と言って身分証明書をみせました。私が「写真がないではないか。警察へ行こう。」と言って市庁舎の方へ歩き出すと反対方向へ逃げていってしまった。旅行者もいつの間にかいなくなっており二人はグルだったとわかりました。もしベルトをしていなかったら言われるままにパスポートを出していたと思います。ウィーンはヨーロッパでは治安のいい都市ですが、それでも私のように一人や少人数で外出するときは外国人による詐欺に注意してください。

5.すばらしい仲間たちと
私は音楽的な訓練を殆どやっていませんので楽譜も読めず、音程も正確ではありません。練習で「もう一度Mコーラスから」といわれても何のことやらわかりませんでした。こんな私が楽友協会で「第九」を歌えたのも練習の時からいろいろアドバイスをもらったり気持ちを和らげてくれたすばらしい仲間がいたからです。練習から本番まで隣でいつも美声でお手本になってくれた千葉のHさんと名古屋のBさん、日本山岳会会員でよく絵葉書をくれる新潟のAさんと「新潟では女性が強すぎて杉の木と男の子は育たない」と公言して憚らない元気な女性陣、口うるさい我が家の女たちに見せる証拠写真をとらねばと聞き鮫島有美子さんとのツーショットを撮ってくれた小田原のSさん、一日一善がモットーなのに結果は一日一悲劇となる自称天使のYさん(本番に衣装を忘れてきた人)、寒かった本番当日一緒にラーメンを食べ人を落ち着かせる雰囲気を持つ世田谷のKさんと第九を聴きにきてくれた現地のラーメン亭「ほのぼの」のオーナーさん、ホイリゲで同じテーブルとなったのが私の運の尽きか、私のリクエスト曲を無視しチップだけ受け取った伴奏者に間髪を入れず自分のリクエストをだした荒川のチャッカリMさんとYさん、ボランティア参加で歌われませんでしたがお二人でウィーンを存分に楽しまれた横浜のおしどり夫婦のRさ
んご夫妻、今年3回目のウィーンで大変なオペレッタ通のTさん等々皆さん大変お世話になりました。

年に1回くらい同窓会をしたいものです。次の機会にも是非また一緒に歌いましょう。

6.我が家の「第九狂騒曲」は永遠に
年が明け平成20年1月6日、上野の新奏楽堂で東京芸大の創立120周年記念音楽祭のフィナーレを飾るコンサートがあり「第九」を聴きました。演奏は、小林研一郎さんの指揮で世界各地から集まった芸大OBと先生方による記念オーケストラと合唱団、ソロは林康子(S),伊原直子(A)、吉田浩之(T)、福島明也(B)の皆さん。第一楽章から迫力と緊張感にあふれ思わず身を乗り出したくなるすばらしい演奏でした。そして、圧巻は最終楽章。合唱も力強さと繊細さを併せかつ気品のあるものでした。このような演奏は滅多にきけるものではなく海外の一流といわれるオーケストラ等聴く必要はないと思わせる熱演にホールも興奮と熱狂の坩堝となり、帰るに帰れないコバケンさんも会心の演奏だったと挨拶していました。年初から最高の「第九」を聴けて今年はよい年になりそうだと思いながら清々しい気持ちで帰路につきました。
ところが、家に帰って私が「今日の“第九”は最高だった。あれ位歌えればなあ。」と言ったら可愛いげのない娘曰く「そんなの簡単じゃない。お父さんが歌わなければいいんじゃない。ちゃんとオーディションをやって落とすべき人を落とせばすぐ出来ることでしょ。目の前に該当者が一人いるけれど。」当方は例によって唖然としつつも「うるさい。今年も“第九“を歌うからな。“第九“は永遠だ。」と言うのが精一杯。

それから数日経った11日の合唱団の懇親会。まだ2ヶ月も経っていないのに何故か懐かしい人々と会いアルコールも進みいい気持ちでいたら、佐藤先生が挨拶で娘が告げ口をしたのではないかと思うような「次回参加者が多い場合はオーディションをやって篩いにかける」といったので酔いが一遍に醒め、思わず私は「免除!」と大声で叫んでいました。

このように不出来な生徒で大変ご迷惑をおかけしましたが、私のような者でも何とか「第九」を歌うことができました。次回もこのような企画があれば、ぜひ多くの方が参加されると良いと思います。ただ、「国境なき合唱団」第1回参加者に対しては次回特段のご配慮を切にお願いして筆をおかせていただきます。拙い文にお付き合いいただきありがとうございました。

また、ご指導いただいた佐藤先生、原先生、王野さんはじめ事務局の皆さん、本番のステージにあがる通路で「ガンバッテ」と励ましてくれたウィーンの皆さん、そして合唱団の皆さん、去年まででしたら考えもできなかった夢のような7日間を一緒に過ごせたことを感謝します。

私にとって、まさに「ウィーンわが夢の町」でした。
本当にありがとうございました。

 

ウィ-ンの「国境なき合唱団」に参加して、第2の人生の第一ゴールを達成した満足感に浸っていて、私の第九合唱への道を省みずに居られなくなった。

本当に良い企画に巡り会えたと思う。

私は昭和12年生まれで、小学校前から母が歌う唱歌などを訳も分らずよく歌っていたらしい。
母や姉達が大きくなったら歌手になるかとよくからかっていた由。高学年になると音楽好きで、
機械・算数好きがはっきりして来て、上級生が歌うなじみ易い歌を聞くと早く習いたいと思うし、
音楽教室から歌が聞こえると、先生の話など何も聞こえなかった。

中学では、外国の音楽、音楽家の事をより学ぶようになった。
日本・世界の状況としては中一(1949年)では生まれて初めての大洪水に見舞われ、
中二では朝鮮戦争が起こり、大変な時代であった。中三になると音楽もより高度になり、
音楽の教科書の最後近くには「歓喜」が載っていて、歌の名前としては聞いた事も無かったが、
とても有名なベートーヴェンのとても親しみやすい曲である事が分り、早くこの教科がここまで
進むのを期待する毎日であったが、どうしたことか、これより何曲も前までしか進まず、
卒業してしまう事になりとても残念に思った。
多分当時では「歓喜」を教える先生は居なかったのでは・・・・。

                   ***

昨年70歳になり、海外旅行は元気なこの4~5年のうちにとの妻の主張、希望に任せて5月は東独→チェコ→オーストリア→ハンガリー、10月にはトルコ西半周の旅行を計画し、11月上旬には地元での第九が予定されているところに、11月末の「国境なき合唱団」の企画を発見し、予定が詰まってしまい一瞬の迷いはあったが、第九合唱の第一のゴールは、そのうちにベルリンかウィーンと希望を持っていた上に、「歌の翼に」で憧れの第九へ後押しして頂いた鮫島有美子さんが「国境なき合唱団」の第一部で出演される事を知り、即刻申込をした。

ここで初めて、人と人との出会いの重大さを思い知った。
二度と無いタイミングであり、神が巡り合わせてくれたと感謝している。

ソフトでやさしい歌声の主、鮫島有美子さんのお姿を間近で拝見し、直接言葉を交わし、
並んで写真を撮影できたのは、私にとって最高の喜びであった。

「国境なき合唱団」が恵まれない子どもたちへの支援と抱き合わせで活動していることで、
単に参加者者だけが幸せを独占するのではなく、不幸な人々にも幸せを分配することで、
参加者の心が救われる好ましい形だと思う。

日本人が第九を日本国内だけでなく、世界中に出て行って合唱するのは、シラーの歌詞の様に世界人類は皆兄弟であり、手を取り合い、抱きあい、紛争を解決したいという願い、祈りの心を世界に発信している事を、堂々と発表・主張して欲しい。

さて、合唱練習については第一部(さくらコア)と第二部(フロイデコア)で原則いずれかの
選択であったが、さくらコアは私にとって新しい曲もあり地方在住で練習参加が難しいため、
結局フロイデコアの選択となった。

合唱指導の佐藤一昭さんは初めてであったが、第九にしてもコアとなる固定的合唱団ではなく、
全国からの寄せ集めの殆ど素人を2ヶ月でまとめるのは大変ご苦労な事であったと推察したが、
とても良い人柄で、団員は勝手が分らず控え目に声を出すので、声は揃わず全体を纏めるのは
難しいものとなった。しかし本番となると、参加者は注意事項を守って精一杯の声を出し、
歌う人も視聴する人も大いに感動したと思う。

一般観光旅行では期間内に多くの観光を詰め込み、ホテルは毎日変わり、旅行中は長距離の
バスドライブに多くの時間を費やし、感心の無いところの観光について廻り、かつ参加者全体に
共通した関心事項が無く、必ずしも楽しい旅行では無いように思ったし、勝手に期待した音楽も
無かったのが前述の中央ヨーロッパやトルコ旅行であった。

それに対し、「国境なき合唱団」では参加者全員が共通の合唱という目的がしっかりしていて、
話題も共通していて、参加者が親しく話し合えてとても良い雰囲気で本当に楽しい旅行であった。

また、添乗員の方々はとても真剣に行き届いた気配りをされ、他の旅行に比しより楽しい旅であったし、ホテルに専用デスクを設けて充分なスタッフの丁寧な対応は、一般観光では考えられない良い企画であった。

本番の日は練習・ゲネプロで大体1日中詰まっていたが、その前の2日間は正午から午後は
練習で、午前中は小旅行、夕方からはオペラ・ワルツの鑑賞とその後の夕食・ワインに音楽が
ついてリクエストもでき、参加者は手拍子や声を出して音楽に合わせて、本当に打ち解けて
楽しむ事が出来たと思う。

本番そのものは感動一杯になり、その上にホテルでの打ち上げパーティには指揮者・ソリスト・合唱団の多くが参加し、写真を撮り合ったり大盛会であった。

 

この様な楽しい第九の第一のゴールとして、ウィーンの合唱を楽しむ事が出来たのは、
私にとっては生涯の大きな記念となった。

これも神が与えてくれたと感謝せずには居られないことであった。

 

今回の国境なき合唱団ウィーン・チャリティーコンサート2007に
フロイデコアにアルトでご参加頂いた山口容視子さんから、
美しい詩のご投稿を頂きました。

 
『国境を越えて、時間を超えて』                 

                 山口 容視子 
 

ポケットに両手を突っ込んで
ケルストナー通りを歩いています
粉雪が舞って
ずいぶん遠回りもしたけれど
思いのままに歩き
ひとり

「フロイデ」を

バスタブに浮かぶ黄色いアヒルに聞かれたわ
たいそうご機嫌なんだねって
グリューワインのせいじゃない
ウィーンが私を歌わせるの
なんて言葉を吐く「私」がいる

楽友協会ホール黄金の間
マエストロが
「私」の 魂を揺さぶり
みんなの 魂を揺さぶり
聴いている人たちの 魂を揺さぶる
4つの楽章が
魂を揺さぶるのが
音楽だと語る

何十年経っても
何も変わらない街だと思っていたけれど
「私」が、変わっていた

2017年6月
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