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前回のウィーンは「一生に一度のわがまま」と「チャリティで二度とないことなので」と会社へ言い月末の繁忙日を含む1週間休暇をとり参加したため今回は「一生に二度」ともいえず困りましたが、幸運にも3連休を含む日程だったことや王野さんから「仕事が忙しければ『釣りバカ日誌』の浜ちゃん方式でおじさんかおばさんのお葬式を出してでも参加するように。」と妙なハッパをかけられ、更に前回参加の何人かの方から声をかけていただき今回のシンガポールも参加しました。

 

1. 出発直前の出来事

(1)思いがけない出費

私はシンガポールが初めてでしたが、30年程前、家内は健在だった私の伯父から「シンガポールはきれいな街だから一度連れて行ってもらいなさい」と今となっては確認のしようもありませんが言われたらしいのです。以後、この事は特に話題にもならなかったのですが今回の参加となったため、あまり海外旅行が好きでない家内から突然「シンガポールってどんなところなのかなあ。連れて行ったと思って」と手を差し出され旅行費用と同額の現金を請求されました。おかげで急遽カードローンを借入れざるを得ず、次回の旅行積立金はローンの返済金へ回ることとなり、今後の私の資金計画は大幅変更を余儀なくされました。幸いオプショナルツァーと燃油サーチャージ分については気づかれず免れることが出来ましたが、我が家の女たちの悪口さえ我慢すればあとは何事もなくいけるだろうと考えていた私には出発直前の思いもかけない痛い出費となりました。

(2)Hさんからのメール
前回のウィーンも参加したHさんには、美声と正確な音程から練習や本番のとき私の隣でよいお手本になってもらいました。今回も参加され第1回の練習で再会し、少し風邪気味のようでしたがまた一緒に歌えることをお互い喜びました。しかし、その後練習には参加されないので気になっていたのですが、Hさんはイタリア歌曲を習うほどの実力の持ち主なので直接現地に行かれるのかなと思っていました。ところが出発前日の11月21日にHさんから思いもかけないメールをもらいました。不整脈と小さな声帯ポリープができ行けなくなったので成功を祈るというのです。ウィーン公演の直後からシンガポールも行くといっていたHさんにとっては大変無念だったと思います。幸い不整脈は快方にむかっているとのこと。
今回はHさんの分まで歌うぞと決意を胸に翌日成田へ向かいました。

2.佐藤先生、原先生の魅力

この合唱団の魅力は全員がボランティアであるとともに、なんといっても佐藤先生の指導と原先生のピアノです。佐藤先生の音楽に対する情熱と精力的な指導で私のような初心者でもなんとか本番のステージに立つことができました。また、私たち寄集め合唱団を明るい性格とジョークを交えた楽しい会話でわずか一ヶ月半という短期間の練習にも拘らず見事にまとめていただきました。前回のウィーンは楽友協会への憧れで行けるだけで満足という感じでしたが、今回は先生の指導により日本の歌も歌いみんなで「音楽を創り上げた」という充実感があります。また、日本の歌の選曲にあたっては、ただ曲がいいからだけでなく如何に合唱らしさをだせるかとの点から先生が熟慮し決定されるので今回は何を歌えるのかという楽しみがありました。原先生は、出発前の練習において体調がすぐれないときも私たちのために弾いてくださいました。秋川さんのファンには叱られるかもしれませんが、「千の風になって」はシンガポールよりも私はウィーンでの原先生のピアノによる鮫島有美子さんとさくらコアの方が好きで今だによく聴いています。特にピアノの間奏がなんともいえずいいのです。今回男声陣は、新たにKさんやMさんのご主人、長野のTさん等参加されましたが、まだまだ人数がたりません。両先生が実力のある人にはある人なりに、そうでない人(私のような)にはそうでない人なりに指導されますので是非多くの方が参加されるようお勧めします。ブログに掲載されたシンガポールの江崎さん、次回は是非ご一緒に!毎年10月になると、両先生の指導を受けられるのが楽しみでJALの本社に足が向かいそうです。今後ともご指導よろしくお願いします。それから言い忘れるところでしたが、「原先生の写真うつりは抜群ですね」と某タッキーが言っていました。私は間違っても原先生にそんなことは言いませんので念のため。

3.日本のうた

前回のウィーンでは、男性が少ないため佐藤先生から「『第九』だけでなく『日本の歌、ウィーンの歌』もどうか」と声をかけていただき私が好きなエーリッヒ・クンツの「ウィーンわが夢の町」も歌うというので悩みましたが、私の実力で「第九」と両方ではいずれも中途半端になってしまうと考え断念しました。今回のシンガポールは「日本の歌」も歌うことが参加条件だったので、やる気満々で申込みの電話をしたら王野さんから「丸さんは、『第九』だけでもいいですよ。」と言われ唖然。他の参加者でそのように言われた人はおらず、家内から「暗にオーディションの前に辞退をするようにってことじゃないの。王野さんは実力をよくわかっている。」と言われ一時落ち込みましたが、気を取り直し「練習は全部出て何としても日本の歌を歌うぞ」と固い決意のもと練習に臨みました。
第1回の練習では「川の流れのように」や「ふるさと」の中の「山は青きふるさと、水は清きふるさと」を歌った時には故郷を想い胸にこみ上げてくるものがありました。また、「赤とんぼ」の最後の「とま~あ~って い~るよ~ さおの~さ~き~」の部分では佐藤先生から「テノールは歌詞の情景を思い浮かべて歌うように。」と各パートの役割、重要性を指摘され合唱の良さ、面白さが少し理解できたような気がしました。他方、「ふるさと」と「赤とんぼ」は子供の時から頭にこびりついたメロディを払拭できず苦戦に苦戦を重ね、送られてきた練習用CDにあわせて歌うときはまだしもウィーンの時の日本の歌のCDに合わせて歌うとソプラノのメロディを歌ってしまい、ある時、どちらでもない全く楽譜に載っていない音程で歌っているのを聴いた家内と娘があまりの酷さに呆れ、「去年より酷い。それで本当に人前で歌うの。お父さんが歌うと気分が悪くなる。ぬか味噌が腐る。」とまで言われ、「ぬか味噌みたいな顔をして何を言う!」と言い返したいのをグッと我慢していました。また、前回は家での「第九」の練習時、ご近所に「お経」と間違えられましたが、今回は家内が、「ソーラン節の『ドッコイショ、ドッコイショ』を大声でやられたら『今年は土俵入りの練習ですか』とご近所から言われそうで恥ずかしくて外を歩けない」と言い出し、更に私が「川の流れのように」を気持ち良く歌っているのが余ほど癪に障るらしく、とうとう家での練習禁止令が出され、毎夜千葉県スポーツセンターの大駐車場に行き車の中で練習する破目に。駄目押しに、娘から「お父さん、『悪貨は良貨を駆逐する』って言葉を知ってる?

最善のケース:全部口パクで通すこと。(他の人に悪影響なし。)
次善のケース:全部ピアニッシモで歌うこと。(悪影響を最小限にとどめる。)
最悪のケース:調子に乗って楽譜どおりに歌うこと。(ウィルスを撒き散らすようなもの。)」

と前回のウィーン以上に罵詈雑言を浴び「我が家の女たちはどうしてこんなに次から次へと悪口がいえるのか」と疑問を抱きつつ「いずれ見返してやる。」との思いを胸に一人練習しました。

4.王野さん大変お世話になりました。

王野さんは、「女弁慶」といわれ私が一番頭の上がらなかった祖母と同じ亥年生まれだそうで、「肝っ玉母さん」のような王野さんから言われると何となくそうせざるを得ないような感じになってきます。でも王野さんは、私の祖母と異なり平安時代であれば間違いなく源氏物語にでてくるような美人だったと思います。昨年10月の日経夕刊記事のなんと「写真うつりのいい」ことか。(この一言を新聞発刊日に追伸メールしてしまいバトルが勃発。私からの休戦協定申し出も実らず、毎週JAL本社での練習では針のむしろに座らせられた心境でした。)あれだけのアップに耐えられる人はそうはいません。しかも国境なき合唱団の企画立案のみならず実務を一人で取り仕切っていただき我々一同感謝にたえません。ただ今回は一時体調を崩し入院されたとの由。我々もボランティア参加で全面支援しますので今後は健康に十分留意されあまり無理をされませんように!国境なき合唱団はこれからも続くのですから。お互い元気でバトルを続けましょう。私も失言(メール)には十分注意したいと思います。

5.シンガポールの人たちと

今回は、国内組だけでは男声の人数がたりずどうなることかと心配しましたが、シンガポール日本人会の人たちや現地の人たちと一緒に歌い文字通り「国境なき合唱団」となりました。シンガポールからわざわざ日本の練習に参加されるご夫婦もいる等意気込みはものすごく大変刺激になり、なにより男声が合唱らしくなりました。国内練習ではテノールが4人のときもあり私にとっては冷や汗ものでしたが、本番ではシンガポールの人たちが参加され心強いかぎりでした。オーケストラは、若いメンバーが多く練習の時は心配しましたが、欧州の完成されたオケとは異なりリム・ヤウさんの指揮のもとで若い人たちが本番には見事に仕上げ大きな可能性に好感がもてました。千葉には「千葉県少年少女オーケストラ」というユースオーケストラがあります。これがまたすばらしくつい応援したくなり毎年3月の定期演奏会にいくのですが、同様にリムさんが普段から若いオケを熱心に指導されている様子が目に浮かぶようです。今後の益々の活躍を期待したいと思います。本番のステージにあがる前の通路で待っている時、私のシャツのボタンが外れているのを注意してくれたシンガポール日本人会のソプラノの方、お礼もいわずに申し訳ありませんでした。また皆さんと一緒に歌える機会があればいいなと思います。

6.シンガポールの思い出

 
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・ シンガポール到着の夜、グルメ通の佐藤先生の案内でインド料理店へ行き美味しい料理を食べながら語り合いみんなでコンサートの成功を誓い大いに盛り上がった楽しいひととき。

・日本人学校の体育館では、クライシスリリーフ・シンガポールの人の講演を聞き地震や津波被害の実情と説明を受け援助やボランティアの継続が如何に必要かを再認識しました。またその後の練習ではリム・ヤウさんの指導をシンガポールの人たちと一緒に受け久しぶりに暑さでタオルが絞れるほど汗をかきいよいよ本番が近づいてきたとの思いを強くしました。

 


・シンガポールは、淡路島くらいの面積で資源のない小国ですが、教育水準が高く赤道直下にありながら街は緑が多く衛生的で若い活力のある国でした。中心街は銀座のように人や車の往来が激しく、マーライオンの周辺は高層ビルが建ち並び新宿や横浜のみなとみらいのようでした。また、オプショナルツァーでジョホールバルへ行きましたが、シンガポールはもともとマレーシアの一つの州だったそうで、優れたリーダーを輩出すると周辺国とこんなにも違うものかと思いました。

・小田原のSさんと一緒に参加したナイトサファリでは、車両に乗り食事をしながら園内を見学しました。ホテル毎の車両で天敵の王野さんとは一緒になるはずはなかったのですが、2人分の席が空いているとのことで我々2人が案内された席は、よりによって王野さんのすぐ近くに。しかも王野さんの周りにはうるさ型のKさんやOさんが陣取り、加えて原先生までいて厳しい視線を浴び美味しそうな食事も満足に喉をとおりませんでしたが、Kさんのご主人とお嬢さんが緩衝材になってくれたことが救いでした。時間を戻せるならば、別の車両でもう一度食べ直したいと思います。

・ 本番当日の夕食は各自が用意し楽屋でとることになっていたので伊勢丹に買出しに行ったところ元気なMさんの奥さんたちとバッタリ出会いました。日本人用に和食もおいてあり私は「お稲荷さん」を買いました。お箸がないので彼女がレジに依頼してくれましたが、「丸さん、有料だって。お箸はいらないでしょ。」の有無を言わせぬ一言でなしに。このため夕食は蝶ネクタイ姿で「お稲荷さん」を手づかみで食べる破目に。この姿をタッキーが写真に撮ってくれこれも忘れられない思い出となりました。
 

・「第九」の本番では、私は最前列で荒川のSさんの隣だったのですが、第1楽章の後半からSさんはなんとコックリをしているのです。なにしろ指揮者の正面なので私も焦り肘でつついたり蹴飛ばしたりしたのですが効き目がありません。コックリしながら徐々に浅く座り目立たず実に巧妙なのです。

そうこうしているうちに第3楽章になるとSさんの眠気がうつったのか私も眠くなってきました。ウィーンの時は木の椅子だったので痩せてしまった私はお尻がだんだん痛くなり「早く第4楽章になれ、バリトンソロ早く立ってくれ」と心の中で叫び眠るどころではありませんでしたが、今回はステージ後方の2階客席なので座り心地が良く眠気は増すばかり。膝をつねったり自分の足をけったりしましたが、一向に治まりません。それでも第4楽章に入るとSさん共々バッチリ目覚め精一杯歌いました。帰国後の新年会で佐藤先生にこのことを報告すると呆れて「次回は絶対に木の椅子にする。」といわれました。考えてみれば暑い体育館での朝からの練習やシンガポール大学での夜間練習。その他にも夜の観光や遅くまで同宿の人たちと語り合う等「第九」が子守唄代わりになる要因が重なっていました。次回はこのようなことの無いよう注意したいと思いますので佐藤先生、木の椅子だけはご勘弁を。


7.べートーヴェンはやっぱり凄い

大晦日の午後2時から元旦の午前1時過ぎにかけて上野の東京文化会館でベートーヴェン交響曲全曲演奏のコンサートがあり行ってきました。演奏は小林研一郎さん指揮、N響メンバーを中心に読響、新日フィル等の首席奏者が加わったイワキ・メモリアル・オーケストラ。マラソンコンサートなので途中の出入り自由で、ロビーでは栄養ドリンクやコーヒー等が配られたり、血圧測定が行われる等他では見られない光景がみられました。私は知人のアドバイスもあり夜食用に「おにぎり」を持参し、席は途中で居眠りをしても周りに迷惑をかけないですむのではないかと考え学生時代によく行った最も安い5階席だったのですが周りは熱心な音楽ファンばかりで空席もなく、何にもまして演奏がすばらしく居眠りなんてとんでもないことでした。一曲毎に休憩があり、その間に三枝成彰さんの解説や各パート奏者へのインタビューでベートーヴェン演奏の苦労話などが聞けました。その中でコンサートマスターの篠崎史紀さんが第一、第二ヴァイオリンの実例を挙げ「第九」Qの8小節からのところは初演当時オケは楽譜どおり弾けなかったそうです。現在はどうかとメンバーが実際に弾いてくれましたが、プロがソロでも難しいのに合奏であわせるなんて神業に近いものでオケの進歩がよくわかりました。また、コントラバスの人は「ラスト45秒なんか楽譜どおりに弾くのは不可能で苦笑いするしかない。(勿論、演奏中は真剣な顔で一生懸命だそうです)ベートーヴェンは耳が悪かったせいか演奏家の限界など考えないで作曲していたのでは」とか、フルートの一戸さんは「去年の交響曲全曲演奏では6番以降になると唇が切れ血が出て絆創膏を貼って吹いていた」そうでそれほど演奏家にとっては過酷なものだそうです。演奏は3、5、7番が印象深く、特に7番はまだ8番と9番が残っているのに大丈夫なのかと心配になるくらいの熱演に拍手がなりやまず、コバケンさんがまだ後があるからとオーケストラを無理やり引き揚げさせるほどで全ての聴衆が喝采をあげました。最後の第九はアマチュアの武蔵野合唱団がコバケンさんの指揮の下、ゆったりしたテンポのMコーラスを堂々と歌いきり、プロに一歩も引けをとらない演奏に周りの人も「本当にアマチュアか」とびっくりしていました。私たちの良いお手本になるのではないかと思います。 コンサートが終わった後も初めて会ったとは思えない周りの人たちと感想を述べ合いながら帰路につきましたが、ロビーでは篠崎さんやチェロの木越さん達が見送り演奏をしてくれ終わったときは大歓声で文化会館がディスコにでもなったかのような大変な騒ぎで日本でもこんなコンサートがあるんだと感心しました。私は大学卒業以降一昨年までは「第九」を専らテレビで聴き、生の「第九」は30年以上聴いていませんでしたが、去年は、1月、8月そして大晦日に聴き、更に11月にシンガポールで歌い「第九」に始まって「第九」で終わった年となりました。こうして去年の年越しは生の「第九」を聴きながら爽快な気分で新年を迎えました。全曲を聴いてあらためて感じることは、これだけ中身の濃い曲を一人の人間が作るなんて、このコンサートのタイトルどおりやっぱり「ベートーヴェンは凄い」。指揮者の朝比奈隆さんが「モーツァルトが天上の音楽なら、ベートーヴェンは『人間のすべて』です。」と言っているとおり、ベートーヴェンは人間の尊厳、生きることへの希望と勇気、そして「第九」ではシラーの詩に託し愛と歓喜を確かに伝えていました。このコンサートは、今年も開催されるそうなので病みつきになりそうです。もっとも既に家では女たちが私のことを「第九オタク」とヒソヒソ言っていますが。興味のある人がいましたら一度聴いてみてください。

8.次回もぜひ

今回のシンガポールも参加して大変よかったと思います。最初は「ウィーンと比べるとアジアでは?」と思いましたが、街を見て歩き、シンガポールの人たちと交流し、会場のエスプラネードも歴史こそないものの、佐藤先生から説明があったとおり欧米の名だたるホールに勝るとも劣らないものでした。ドリアンをかたどった近代的な外観とは反対に、内部はダークグリーンを基調にした落ち着いた雰囲気でアジアにもこういうホールがあるのかと驚きました。やはり実際に行って見なければわかりません。

「国境なき合唱団」のコンサートは「第九」と「日本の歌」の組み合わせですが、このようなコンサートは世界中探してもない最高の組み合わせだと思います。特に今回の「日本の歌」では1曲終わる毎に拍手までの数秒間の静寂はウィーンでは見られず、シンガポール在住の日本人の方たちが遠く離れた地で故国を想う感慨に浸っているのではないかと思うと意義深いものだと考えます。

私はいつの日か実現すると思われる「国境なき合唱団 in TOKYO」の日まで歌い続けたいと思います。動機が少し不純ですが、ボランティアと我が家の女たちをギャフンといわせるために。

ありがとうございました。

 


追伸
○ご連絡とお願い
前回も「私のウィーン音楽紀行」と題し本ブログに掲載させていただきましたが、我が家の女たちから一部不適切な表現や事実と異なる点があると再三にわたりクレームがありました。私の意に反しますがこれ以上抗しがたく指摘事項を記載させていただきますので、原文の方が良いと思う方は「丸ブログ訂正不要」の旨記載し事務局の王野さん宛メールをいただければ幸いです。その他のメールは一切不要です。ブログの指摘ヶ所、指摘部分と指摘内容(指摘理由)は次のとおりです。

タイトル「私のウィーン音楽紀行」→「私のウィーン漫遊記」(珍道中で音楽紀行なんておこがましい)
§3 「コンサート三昧」→「居眠り三昧」(居眠りばかりでコンサート三昧なんてよく言える)
§4 「親切なウィーンの人達と要注意の外国人」→「親切なウィーンの人達とカモ親父」(詐欺師か注意の外国人からこの日本人なら絶対ひっかかると見込まれ)
§5 「口うるさい我が家の女たち」→「いつも的を射た指摘をする我が家の女性」(我が家は男より女性が賢い家系なのです。)
§6 「可愛げのない娘」→「目の中に入れても痛くないほど可愛い娘」(恥ずかしいからって本音を言いなさい)

 

この年2008年3月末に37年間のサラリーマン生活を定年退職したが、最近ではボランティアにも少しずつ関心が出てきたので、日本航空を利用する時は貧困に喘いでいる子供たちへの思いを込め、必ず機内の棚に保管されているUNICEFの封筒に100SGDを寄付している。
今年で日本・シンガポール就航50周年を迎え、そのセレモニーの一環として11月に国境なき合唱団チャリティーコンサートがシンガポールで開催されることを、9月の機内誌で知り参加することを決意した。

 

サラリーマン人生で全く異なる分野である船用エンジン、半導体分野で2回の企業内転職を経験しているが、ドイツだけは船用エンジン、半導体ともに駐在、出張する機会を与えられた私にとって第2の祖国の思いもあり、ドイツ語もかなりできるようになったと自負していた。そのドイツ語でベートーヴェン交響曲第九番合唱が歌えると言う、文字通り歓びを感じボランティア-でもあり参加する事に決めた。

 

参加応募してまもなく、事務局よりあなたはバスですかテノールですかとのメールにて問い合わせが来たが自分の声はどちらなのか不明と回答した。この時点でこれはおかしいなと判断をすればよかった。
また、事務局より第九合唱の楽譜が届けられたがこんなに長いのかとおもった。メロディーはおおよそ覚えていたが、CDから流れる第4楽章のどの部分を歌っているのか分らず、11月21日の練習の初日まで焦りを感じていた。合唱なので、♪Deiner Zauber bin den wieder… の歌詞もなかなか聞き取れない。

 

私の家からすぐにあるクレメンティ-日本人小学校で、11月25日に開催される本番に向けて21日(金)に練習が始まった。行ってみると若い女性が約40人、年配の男性が6人来られていた。指導者らしき人が現われ話を聞くと、どうも東京でも教えておられたようでシンガポールの参加される女性は若くて良いとのコメントも出された。まずはお腹から声をだすための体操、続いて発声練習があった。
私も学生時代野球部で、練習に気合をいれるために声を出せ、声を出せと声を出す練習もした経験もあり自信はあった。
いざ、ピアノを伴奏とした合唱練習が始まったが、楽譜が読めない私にとってはドイツ語は読めるが歌詞がどこに行っているのか、ついていけない。それに比べ、女性のソプラノ、アルト、テノール組は上手なこと!!上手なこと!!
練習中は自分の声がアガッタリー、サガッタリーどこを歌っているのか、バスですかテノールですかそれとも両方ですか?
約2時間半の夜間練習はキツイものとなった。

 

次の日22日(土)合唱の練習はあったが、ゴルフコンペの予定があり参加できなかった。仕事の疲れもありまた、合唱で普段使わない左脳(?)も使ったためかよく眠れなかったのは事実。22日の早朝、コンペに参加するメンバーから「江崎さん、疲れてますね。飲みすぎですか、それとも遊び過ぎ?」と数人から指摘されたが、まさかベートーヴェン交響曲第九番合唱で疲れたとも言えず・・・・・。
スタートホールはパー5、ところがなんという因縁か九を叩いた。これもベートーヴェンが与えてくれた魔力と思い、ラウンド中は、♪Deiner Zauber bin den wieder… メロディーが出てきてゴルフにならなかった。

 

ゴルフの表彰式も終わり、当時成田発JL719便にて当地に来る予定になっている家内を迎えにチャンギ空港まで行った。
不思議なことに、日本から参加される合唱団約100人の方も同じフライトであったのも偶然か?!。かなりの年配の方が降りて来られた。昨年はウィーンで開催されたが、この方達も参加されたようで元気溌剌な感じを受けた。ウィーンでは250人での合唱団になったと聞いた。
家内も25日(火)の本番を楽しみにしているようであり、不参加を言い出すのは苦しかったが音程を乱し調和を乱すことより、自分の気持ちだけのチャリティー・コンサートに参加した方が良いと判断し、苦しい思いをぶっつけた。予想どおり、「言ったでしょ!!貴方には無理って。少しドイツ語が出来るからと言って、合唱なんか歌えないのだから、5,120円で買った蝶ネクタイはどうするの!!」セメテ、もう少しがんばってみたらの励ましの言葉を疲れている私に言ってほしかった。

 

練習3日目の23日(日)朝9時より、クレメンティ-日本人小学校の体育館で日本から来られた約100人の方とシンガポールから参加された約50人の方が一同に集まり練習が予定されていた。
その練習の前に指導者である佐藤先生に今回は皆様方のレベルについて行けませんので、辞退させて頂きますと申し出た。

 

冒頭シンガポールでのボランティア-団体Crisis Relief Singaporeの事務局より、活動報告があった。最近ではインドネシア、マレーシア等の国を襲った津波、ミャンマーを襲ったサイクロンに援助したと報告があった。モットウとしては "Opening doors thorough God’s Love"の言葉があり、愛の手をさしのべませんかとの意味らしい。

 

合唱団と離れた場所で家内と聞いていたが、「これで先生も安心したわよ。変な声を出す人が居なくなったから。」隣りから、厳しい声も聞こえた。
練習の後半には、ソプラノ、アルト、テノール、バリトンのプロも参加しまた本番の指揮者も来られ合唱団らしくなったと思った。本番の前日24日(月)夜7時から、シンガポール大学の音楽ホールで、オーケストラも参加して本番さながらの練習があった。客席で一緒に見ていた家内は指揮者のエネルギッシュな指導に感心していたが、少しぐらいダンナが合唱団にいるイメージを持ってくれないのかと・・・。

 

25日(火)エスプラネードホールにて国境なき合唱団チャリティーコンサートが夜の7時半から開催された。

 

1部 日本の歌 赤とんぼ、ふるさと、川の流れのように、ソーラン節
     150人の合唱団による歌声は日本の四季、郷里等を思い出させてくれた。
2部 スペシャルゲスト 秋川雅史 独唱 イタリアの歌曲、及びグラナダ、千の風になって
     テノールの声でどの曲も素晴らしかったが、特にシンガポールを意識した「千の風になって」を中国語で歌って頂いたが、リズム、響きもばっちり合っていたようで本当に感激した。
3部 ベートーヴェン交響曲第九番合唱
     素人と思えない素晴らしい合唱が、エスプラネードに響き渡り観衆を魅了させた。

 

ドイツで生まれウィーンに渡ったベートーヴェンはシラーの言葉を音楽に纏め上げたいとの一心で作り上げたのは1823年の第九である。栄光と挫折、恋愛と失恋を体験したように残されているが、まるで私の人生と良く似ているようで共感がした。

 

昨年12月の成田行きの機内で、32年間日本航空を利用しているが生まれて初めてチーフスチュワーデスを泣かせた名文?!

「シンガポールでは、マレーシア、インドネシア、ミャンマー、バングラディシュ、インド、それに私日本人の7ヶ国から構成される多国籍企業の統括責任者として毎日奮闘しておりますが、世界平和、友好、それにボランティア-に少しでも貢献できれば、シンガポール駐在の使命が達成されるものと考えております。」

どうもチーフスチュワーデスが泣かれた理由はお父さんと私の社会人として歩んできた道が似ており、亡きお父さんを思い出されたようだ。

 

 

来年、国境なき合唱団は引続き別の都市で開催予定とのこと。
今度こそ、裏方ではなく桧舞台に立ってみせるぞ!!!

今回使わなかった5,120円の蝶ネクタイを持って。

空港・・・懐かしい仲間たちとの再会。

真夏のクリスマスイルミネーション、真夏の蒸し暑さ、美しく整えられた街、熱帯植物、すべてがヨーロッパとは異なった国。ここが今回の私たちの舞台となる。

到着した翌日、蒸し暑くてどこか懐かしいような体育館での練習。
クライシスリリーフ・シンガポールからの、思いがけないうれしいプレゼント。
午後は、気分を切り替えて、仲間との楽しいショッピングやランチ。
よく遊んでよく歌って、本当に楽しいひと時です。

翌日は、オーケストラの練習時間に配慮した、急な練習場所の変更、大学のホールにて音合わせ。王野さん、本当にお疲れ様でした。

楽しい事は沢山ありました。
でも、今回特に感動したこと、それはリム・ヤウ氏との出会いだったように思います。
なかなか英語が理解出来ない私でも、マエストロの何とか伝えようという情熱で、あら不思議・・・?いつのまにか完全に引き込まれていました。

言葉で分け隔てられた私たちを、リム・ヤウ氏に繋いでいただいた・・・そう感じました。
まさに、ベートーヴェンの思いを伝えていくのに最高のボランティアだと、再認識したのです。
そして、この合唱団の名称通り、音楽に国境はないのだと、つくづく感じたコンサートツアーでした。

今回の合唱ボランティアで私が頂いた大切な宝物。
日本で何ヶ月も前から指導していただいた佐藤先生の楽しくて判りやすい練習と、情熱的なリム・ヤウ氏の指導。そして、素晴らしい仲間との出逢い。
こんなに素晴らしい方たちに囲まれて歌を歌える事に感謝するとともに、改めてお客様に感動していただける歌にしなければ・・・と決意した私です。

私たちは、お客様に愛と感動を提供する立場、そしてその事が実現して初めてボランティアとして意味を持つのです。全ての団員が、その事を理解し、思いがひとつになった時、初めて本当の感動を得ることができると信じています。

最後に、これからもずっとこの合唱ボランティアを続けていきたいと思うと共に、影となり支えとなっていただいたスタッフの皆様に、心から感謝したいと思います。
たった1つの使命を背負って、私たちがまず兄弟となる・・・今回このボランティアに参加された方がそのことに気付いていただく事ができなたら、もっとすばらしい仲間となる事ができると信じています。

きっと、来年もまた仲間と感動を共にできる・・・そう信じて、寂しさを振り切って空港を後に。
必ず、またお会いしましょうね♪

空港まで着てきたコートをトランクにしまい、サンタさんと子どもたちのクリスマスキャロルで見送ってもらいました。
さあ、旅立ちです。

Tシャツで降り立ったシンガポールで懐かしいお顔に出会い、本当にホッとするのとともに、さあ 今年も歌うんだという実感が沸いてきました。
練習を積みこのコンサートのために来たのですから、体調重視はいうまでもありません。飛行機の中もホテルで寝るときもマスクは必須です。みなさん、それぞれにとても気を遣っておられます。

でも、その忙しい合間をぬってのお買い物や観光・お食事は、また楽しい時間です。
1年にこの数日だけを一緒に過ごす仲間との、至福の時間です。

そのなかでも今年は、指揮者のリム・ヤウ氏との出会いは、私にとってこのコンサートツアーの意義を改めて認識することとなりました。
佐藤先生や原先生との日本での練習は、皆さん遠くから時間を掛けて参加し、毎回熱気でお部屋が熱くなります。先生方のお気持ちもびんびん伝わってきます。

それにも増して、今回のシンガポールでのリム・ヤウ氏との練習は、さらに熱いものでした。
真夏のような気候のシンガポール日本人学校の体育館で、Sunday morning(参加しておられた方は、フフフと微笑みの出るところですね)にもかかわらず、私たちをぐいぐいとすごいパワーで引っ張ってくださいました。

その後のオーケストラとの練習、ゲネプロ、本番。
正面から向き合い、何とかして私たちに気持ちやお考えを伝えようとしてくださる姿。
もうそれは、今まで歌ってきた第九はなんだったんだ、と思うものでした。

ホールいっぱいのお客様に、感動していただける歌を歌うのが私たち合唱ボランティアのしなければいけないこと、するべきことなのだ、と心の底から感じたのです。多くの団員の中に、この「国境なき合唱団」への誇りが生まれたのではないでしょうか。すばらしいホールで歌うことができる、けれどそこには聞いてくださるお客に感動していただかないと、合唱ボランティアではないのです。

今回、団員はそれぞれに楽器や文房具を携え、シンガポールで活動しているCRSにバトンタッチしました。私も仕事仲間からも預かりましたが、帰って様子を話すと「家で眠っていたのを役立ててくれて、嬉しかったよ」と言ってくれました。

わかっていたつもりでしたが、今回2度目にしてこの合唱団の使命を本当に理解できたように思います。
多くの方の力をお借りして歌えたことに、感謝します。

歌っている間にも、近くの国では事件がありました。平和であるから歌えるのだとも感じました。
シンガポールの空港で、「また来年ね!」と仲間と流した別れの涙。

皆さん、また来年! きっと!

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合唱のテノールで参加させて頂いた小西でございます。これだけの大人数なので名前
だけでは分からないと思いますが、テノールで一番大きな口を開けて歌っていた背の
低い男性と言えば、あぁ、そういえばと思い出して頂けるのではないかと(^^;)

## いや、別に開けようと思って開けてるわけではないのですよ(^^;)。もともと大きいよう
## なんですが、未熟ゆえ、通った声をだそうとすると大きく開いてしまようです(笑)。
## 私が学生時代に合唱やってた頃は, まだビデオデッキなるのもが初めて商品化された
## 時代で、公演の録画なんて夢の夢。昨年のウイーン公演のビデオで、初めて自分の
## 歌っている様子を観て、大笑いしたのは他ならぬこの私です(^^;)。

閑話休題(-.-)

昨年のウィーンへの演奏旅行は、6年ぶりのウィーンが楽しい、クラッシック音楽の神様の祭壇である楽友協会のステージで、鮫島先生との共演や、ウィーンのオケ/ソリストの方々と第九を歌わせて頂ける幸せに舞い上がるという旅で、どちらかというと一人で存分に楽しませて頂いた旅だったのですが、今回のシンガポールは、エスプラネードというアジア随一のホールで、リム・ヤウ マエストロのタクトで思いっきり歌えるという嬉しさだけでなく、日本での練習の時から現地での公演/打上げまで、参加された皆様ととても楽しい交流を深められた、人と人との巡り合いと絆が嬉しい旅となりました。
皆様、本当にありがとうございました。

今回の旅があまりに気持ち良かったので、大学卒業以来26年ぶりに、また合唱を始めることにしました。昨年のウィーン旅行の時、仲良くなった方に「楽友協会で歌うのは50年の人生の総決算ですよ」と申し上げたら、「なに言ってる。これが始まりでしょ。」と言われ、うむ、そうかも と思ったのですが、今年の旅が、知らないどうしが音楽を通じて巡り合い、心から気持ち良い時間を共有するという楽しさを再認識させてくれました。改めて事務局の王野さん、佐藤先生、原先生、参加されたすべても皆様に、心から感謝致します。
来年も是非、皆様と一緒に歌わせて頂きたく存じます。どうぞ宜しくお願い致します。

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っと、ここまでで書くのをやめておけばいいものを、御賢察の通り目立ちたがり屋の小西さんは、ここから詳細な旅行記を書き始めます(^^;)。以下は、まぁ読んでやろうかという方が、お時間のある時にお読み頂ければ幸いです(_._)

1. インドにて

仕事の関係で世界各国を飛び回っておりまして、昨年の楽友協会での第九チャリティーコンサートツアーを知ったのも、ハノイからの帰国便でのJAL機内誌だったわけですが、今年も6月か7月には発表かなぁと楽しみにしていた矢先、5月に米国西海岸に2週間、6月と7月に各々3週間のインド出張が決まってしまい、申し込みに間に合うか気もそぞろ。王野さんにメール差し上げて、テノール1名の枠を確保して頂いたのは、インドからお送りしたメールでした。うむ、今年も歌うぞ!

2. カラオケボックスにて

めでたく今年のチャリティー・コンサート・ツァーが確定し、王野さまから日本の歌の楽譜と
練習用CDが参加者に送られてきました。ん?「川の流れのように」?この曲の楽譜を見た時、目の前に浮かんだのは、あの真っ赤な羽ドレスを来て、シンガポールのクラークキーの川辺で唄う美空ひばり大先生でありました。うむ、シンガポールのリバーサイドとこの曲合うかも。。。。

早速、昨年同様、練習用の日本の歌と第九のmp3ファイルを携帯電話に仕込み、ロールピアノとメトロノームを通勤カバンに忍ばせ(笑)、仕事帰りのカラオケボックス通いが始まります。基本は毎日2時間歌うこと。昨年は20年ぶりに歌うので声を戻すのが大変でしたが、今年8ヶ月のブランクだから少しは楽。。。甘かったですね(^^;)。毎夜カラオケボックスで、背広姿で体操やって発声やって、だぃねぇ つぁーべる びんでん びーでる と頭の上で手をヒラヒラさせながら声張り上げてる図というのは、面白い見世物だったかもしれません(^^;)

3. 天王洲アイル 練習会場にて

昨年は10月に2週間ほどイギリスに行っていたので合同練習参加は10月末からでしたが、幸い今年はインドの後は出張の話もなく、10月最初の練習から参加できました。練習会場に着いてみると懐かしい顔、顔、顔。おー、SさんにMさん!今年もどうぞ宜しくお願いしますぅ。

昨年に比べて参加人数が少なく、この人数(特に男声)で第九って凄いかも(^^;)と思う反面、その分皆さんとの交流が厚くなった感じ。皆さん、本当に気持ちの良い方々ですね。練習後の飲み会にもお誘い頂き、2年越しの自己紹介というのもオツなもの。シンガポール参加の御夫妻が日本への出張がてら練習に参加された日もあり、気分は盛り上がっていきます。生意気ですが、2ヶ月の合同練習の終わる頃には、とてもタイトでいい合唱に仕上がってきているな感じていました。

聞けば、現地でのコンサートチケット引換券は、1,000枚のチケットが配布開始1時間で完配して大騒ぎとのこと。弊社現地拠点の知り合いから、なんとかチケットを手配して貰えないか
とメールが飛び込んでくる大評判ぶりで、歌う側も期待にわくわくしてしまいます。王野さん、早い時期から弊社現地拠点の方々の招待につき御相談差し上げていましたが、チケット手配への御配慮、本当にありがとうございました。

4. 到着日:シンガポール伊勢丹前にて

さて、シンガポール。もう両手でも数え切れないくらい仕事で訪れている街ですから、勝手知ったる街。。。。。って、このクリスマスイルミネーションと繰り出した人、人、人の波ってのは掟破りでしょー(爆)。いつのまにシンガポールは香港になったの?(^^;)

          

うむ、そういえばこの時期に来たことはなかったか(-.-;)。サンクスギビングウィークは世界的にクリスマスツリー点燈の時。確認したわけではありませんが、どうやら我々はシンガポールのクリスマスイルミネーションが輝いた最初の週末にシンガポール入りしたようです。

出発前に王野さんが、シンガポールにお詳しいようなので到着日は皆をクラークキーに案内してくださると嬉しいです (もうちょっと既に決定済のようなトーンだったような気もするが、まぁいいか(笑)) と仰っていたので、いつもどっか自意識過剰気味の小西さんは、気になっていたのですが、グッドウッドホテルに逗留している小西は、ヒルトンにお泊りのはずの王野さんと連絡がつかない。後でお聞きしたら王野さんが私のホテルに電話くださったのだけれど、どうやら我々のチェックイン時間がちょっと遅くて、電話を頂いた時に小西はまだ部屋にいなかったようです。実はとてもシンガポールにお詳しい王野さん達は皆でリトル・インディアに夕食を取りに出かけられたそうで、それはそれでめでたしめでたしの到着日でした。

5. 2日目 午前:日本人学校クレメンティ校にて

明けて2日目。今朝は日本人学校の体育館にて、シンガポール参加組を加えた初の全員練習。
マエストロ リム・ヤウ氏の登場。練習を始めんとするヤウ氏に、わーい、生リム・ヤウだぁと携帯カメラを向けたら睨まれた。この人、睨むと怖い(^^;)。合唱指揮出身だけあって、分かり易い指導と適確な指揮。凄いなぁ、歌いやすいなぁと感激することしきりでした。
                

6. 2日目 午後/夜:ビクトリア・コンサート・ホール そして 角満にて

汗だくの練習が終わって明日の夜までは自由行動。実は筋金入りの映画マニアである小西さんは、日本では来年1月まで公開を待たなければいけないJames Bondの新作を観に、いそいそと映画館に。(期待を裏切らない面白さです。お楽しみに) 

夜はこちらにある弊社海外拠点のTさんが参加しているオーケストラのコンサートに誘われていたので、ビクトリア・コンサート・ホールへ。我々が歌わせて頂くエスプラネードが出来るまでシンガポールのメインコンサートホールとして有名かつ歴史あるコンサートホールで、シンガポールには何度も来ているのに、入るのは初めて。やわらかい響きのするホールでした。
演目はベルディの「運命の力」、ヤナーチェクの「フルート協奏曲」に、オケの指揮者が作曲した交響曲「Music in Harmony」の初演。楽しませて頂きました。
特に「Music in Harmony」は中国系、マレー系、インド系の人々が集うシンガポールそのものをテーマに、楽章毎に各国の民族音楽を折り込み、終楽章では、それらのメロディが渾然一体となったあげくシンガポール国歌に収斂するという構成で楽ししゅうございました。うーむ、なんてわかりやすい曲であることよのう。アンコールに4楽章の後半を再度演奏してくれましたが、作曲者にして指揮者のヤンさん、きっと嬉しかったんだろうなぁ。

コンサートがはねて、Tさんにお疲れ様と挨拶したら、オケの日本人で打上げに行くから来る?とお招き。女性のお招きにはすぐ乗る小西さんは、いそいそと打上げ会場の居酒屋「角満」についていったら、盛り上がる盛り上がる(^^;)。我々の第九の打上げパーティでシンガポール参加の方々のテンションに圧倒された方も多いと思いますが、まさしくあのノリです(笑)。Tさん以外は初対面にも関わらず、長年の知己のように気持ちよく盛り上がり、Tさんを含めオケの美女6名に囲まれて撮った記念写真の小西さんの、それはもう嬉しそうなデレデレ顔と言ったら(爆)。ここにその写真を掲載できないのが誠に残念ですが(見たい方は個別にどうぞ(笑))、 思えばこの打上げが、巡り合いと絆のシンガポールの始まりだったのですねぇ。感謝です>Tさん。

7. 3日目:シンガポール国立大学附属 Yong Shu Toh Music Concervatoryにて

「角満」での大宴会は深夜1時まで盛り上がり、寝たのは午前3時過ぎ。当然昼まで寝てました(^^;)。お昼を食べてヒルトンに顔出したら、丁度、佐藤先生がロビーで地元のWebマガジンの取材を終えられたところで、ちゃっかり記事の写真に写ってしまいましたね(笑)

さて、夜はオケ合わせ。音大のコンサートホールが練習会場に手配されていました。


 

昨夜の宴会で一緒に大騒ぎしたFさんもシンガポール組のソプラノの一人として参加してます。彼女とハイタッチ交わして練習開始。1年ぶりにオケと合わせる嬉しさはひとしお。やっぱり生オケをこんなに間近で聴きながら歌えるのは貴重な経験です。今回の参加者は日本から90余名、シンガポール現地参加が50名くらいで、タイトにまとまった感じ。明日の本番はなんか凄い演奏になりそうな予感がします。日本の歌の練習時間がほとんど取れなかったのが気がかりですが、ここまで来たら精一杯歌うだけですね。

練習が終わって、夕食は参加の皆様とグッドウッドホテルから北に上った屋台村ニュートン・サーカスへ。シンガポールの海の幸を肴に皆さんとの会話が楽しい。たまたま前に座った合唱参加をしてくださるテノール歌手のFさんが、実は私と大学が同じということが判明してお互い人差し指モード(爆)。あの先生がこうで、あの人がこうでと、シンガポールの屋台村で日本の地方都市のローカル話題で盛り上がるのって、いっつぁ・すもーる・わーるど(笑)。
いやぁ、巡り合いって不思議と、シンガポールの夜は更けていくのでした。

8. 4日目 本番当日 午前:グッドウッドホテル・ロビーレストランにて

今回の演奏旅行と丁度重なってしまったのが、弊社現地拠点で一緒に仕事をしているD君の結婚式。インドネシア人の彼はフィアンセとインドネシアで23日の日曜に結婚式を挙げたのですが、シンガポールから日帰りで行ける便がなかったので参列はあきらめていたのです。
そしたら彼が奥さんと25日にシンガポールに来てくれると言う!26日朝からハネムーンに出発するのでコンサートは無理だけどランチなら是非とのこと。少しでも長めの時間をとりたかったので、グッドウッドパークホテルに来て貰うことにしました。

ニコニコしながらやって来た新婚ホヤホヤのD&N夫妻。世界中の幸せは僕たちのものって顔してます(笑)。いや、まったくその通りです(^^)。もう、当てられっぱなしで大変(笑)。日本の職場の皆から預かったお祝いのプレゼントとカードを渡し、いかに我々は幸せで、これからもいかに幸せであるかを滔々と語るD君とN嬢の笑顔が眩しいお昼時でした。

9.4日目 本番当日 午後: エスプラネード ゲネプロ

エスプラネードです。素晴らしいホールです。新しい中にも優雅さを感じさせるデザイン。音響設計の隋を凝らしたその響き。客席の広さも、広すぎずゆったりとして丁度良い感じ。ゲネプロでステージ後方の客席に立って、思わず眺め回してしまいましたですよ。

現地消防法の規定によりステージには150人迄しか乗れないとのことで、日本の歌も第九もサントリーホールみたくステージ後方の客席で歌うことになると聞いた時にはピアノが遠く、指揮者が遠く、ソロが遠く、テンポが合わないのでは? ソプラノやアルトが横に広がって聴こえないのでは?と心配したものですが、こうしてゲネプロを通してみるとまったくの杞憂でした。ホールの素晴らしい響きの中で聴こえる聴こえる。これなら絶対大丈夫!第九の合唱を歌い終わり、オケの最終音がザン!と鳴り響き、誰もいないホールの残響に美しく消えた時、鳥肌が立ちました。これは素晴らしいコンサートになる!と確信した瞬間です。マエストロ リム・ヤウ氏の最後の指導を受け、あとは精一杯本番で歌うだけです。

ところで、並びの最終調整をして、隣にシンガポール参加の高校生みたいな日本人。
宜しくね。Iさんですか。。。。え??。。。 ひょっとして御両親が日本での合同練習に出張がてら参加しなかった?? と聞いたら、なんでうちの両親を知ってるんですか!って驚かれた(笑)。なんでも彼はシンガポールで高校を卒業して、今は彼だけ日本に戻り、日本で大学に通っているのだけれど、お父様が合唱が大好きで、シンガポールで家族一緒に第九を歌おうと、この為だけにシンガポールに戻ってきたとのこと。いやぁ、いい話を聞かせて頂きました。日本から御家族で参加されているKさん御一家の話と同じくらい、いい話です。こんな人達が一つになって歌う第九です。素晴らしくないわけがありません!

10. 4日目 本番当日 夕刻:エスプラネード 楽屋にて

ゲネプロが終わり、楽屋でリラックスのひと時。本番前の緊張もあってか、皆さん和気藹々と冗談を飛ばしあって、とてもいい雰囲気。もう記念写真の撮り合いっこで大変(笑)。皆さん、FM-TOKYO様の密着取材インタビューなどにも堂々と答えてるのが板についてきてるよなぁ。私も答えさせて頂きましたが、何を喋ったか覚えてません(笑)。

11. 4日目: 本番

いよいよ本番です。1,600人収容の大ホール満席のお客様です。それはもう天井桟敷まで一杯です。客席前方右手に弊社現地拠点の仲間達が見えます。一昨日「角満」で一緒に大騒ぎしたオケの面々が見えます。おーい、そんなに気楽に手を振られても、こっちは振り返せないだろー!(^^;)。でも、嬉しそうな皆さんの顔が見られて嬉しい(^^)。

客電が落ちて、挨拶があって、佐藤先生が登場して、赤とんぼの第一声。ここが一番緊張しましたね。でも、Ah————-っと出した瞬間、もう歌にのめり込んでいました。歌うのが嬉しい、皆と歌えるのが嬉しい、これほどのコンサートホールで歌えるのが嬉しい、これだけの人数のお客様と嬉しさを分かち合えるのが嬉しい。もう何かが降りてきてましたね(笑)。秋川さんの歌を堪能し、マエストロ リム・ヤウ氏のタクトで第九の第三楽章までを堪能し、そして始まる第四楽章。歌う、歌う、歌う。もう思いっきり歌う。我々歌う側とお客様が一体になって楽しんでいる感覚を覚えた瞬間が何度もありました。四声の和声の響きを、かけあいを楽しみながら、歌う、歌う、歌う。お客様の嬉しそうな表情に励まされながら歌う、歌う、歌う。もう最高です!

歌いきりました。万雷の拍手です。マエストロがニッコリ微笑みます。仲間が客席から手を振っています。一緒に歌った皆さん、ありがとう。よかったね。楽しかったね。最高だね!

嬉しさと幸せを胸に退場したら後続のMさんSさんから声がかかった。「小西さんコールかかってましよぉ!凄いなぁ」。。。って、私それ聞こえてないんですけど。。。(^^;)。どうもオケの美女軍団が私の退場間際にコールかけてくれたみたい。頼むから次の機会には、まだ私がステージにいるうちにかけてよね!(笑)

 
12.4日目:狂乱の打上げ

それわもう、ハイテンションの見本市に出したら軽く優勝するような打上げでしたねぇ!
っと、その前に、コンサートを聴きにきてくれた現地拠点の仲間が出待ちしてくれてました。

         
 
コンサート成功のお祝いのプレゼントに寄書きまで頂いて嬉しいなぁ。ほんの一昨日まで知らなかったオケの面々からの暖かいそして笑えるメッセージまで寄せられて、巡り合いの不思議さと嬉しさを実感しました。よーし、打上げ会場に行って、この合唱団で巡り合え方々と騒ぐぞー!あなたと知り合えて嬉しいよーって騒ぐぞー!日本から参加した方も、シンガポールで参加してくださった方も、ありがとー!本当にありがとう!
来年も一緒に歌おうねーーーーー!


          

【最後に】

2日目に訪れたビクトリア・コンサート・ホールのホワイエの壁に、こんな言葉がありました。

“Music should strike fire from the heart of a man, and bring tears from the eyes of a woman”
   -Lugwig van Beethoven-

ベートーヴェン先生、涙してるのは僕なんですけど。。。。

国境なき合唱団の皆様、そして今回のコンサートを通じて知り合えたすべての皆様へ、
感謝を込めて。

小西紳介 拝

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