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「国境なき合唱団」のみなさん、お変わりありませんでしょうか。ことに東北地方のみなさんは大地震、大津波に加え原発事故と国難ともいうべき事態にもかかわらず多くの方々が復興にむけ諸活動を精力的に取組まれていることと思います。

このような中、プラハ公演まで1ヶ月足らずとなり練習も後半に入りGWには仙台や福島のみなさんも参加され元気な姿を見せて熱を帯びてきました。私にとって「国境なき合唱団」のこれまでのウィーン、シンガポール、ベルリン講演はいずれも心に残るコンサートであり、旅でした。残念ながら私は今回所用で参加できませんが、練習で多くの懐かしい方々とお会いしてプラハ公演を前に前回のベルリン公演とドイツの旅について記憶を辿りながら振り返ってみました。

1.ライプツィヒと滝廉太郎

ドイツ東部の古都「ライプツィヒ」といえば、聖トーマス教会に代表されるバッハの聖地ですが、この古都が「滝廉太郎」にとってもゆかりの地であることを知ったのは、5年ほど前、上野の旧奏楽堂で行われた「アンサンブル of トウキョウ」の定期演奏会での金昌国先生の話でした。このアンサンブルの演奏会は、金先生がユーモアを交えわかりやすく解説をしてくれるので私は毎回楽しみにしているのですが、この中で金先生は滝廉太郎について次のように話されました。

滝廉太郎は、21歳でライプツィヒ音楽院に留学したが、肺結核に罹り1年半で帰国を余儀なくされ、わずか23歳の若さで亡くなった。

②その短い生涯のなかで「荒城の月」「花」等多くの名曲をのこした。

③私自身も若いころ結核に罹ったがペニシリンのおかげで生き延びた。可能であれば入れ替わりたいぐらいの惜しい才能であった。

④滝廉太郎がせめてモーツァルト(37歳)ぐらい長生きしていたら音楽の歴史も大きく変わっていただろう。事実、同時期にライプツィヒ音楽院に学んでいたブラームスより成績がよかったという声もあった。

⑤志半ばで病に倒れ音楽に対する思いのたけを表した滝廉太郎最後のピアノ曲「憾」(うらみ)は日本人が誇れる素晴らしい曲であり多くの人に知ってほしい。

このピアノ曲「憾」はアンコールで演奏され、金先生の解説のとおり「こんなすばらしい曲があったのか」と驚くとともに私にとって心に残るコンサートでした。コンサート以降、この曲は私のウォークマンに深沢亮子さんのピアノでショパンやメンデルスゾーンの曲の間に収録されていますが、全く違和感がなく知らない人が聴いたらショパンの曲と間違えてもおかしくないすばらしい曲です。是非一度聴いてみて下さい。

そして後日、近くの図書館でふと手にした滝廉太郎に関する本の中で、国際メンデルスゾーン基金などがライプツィヒで彼が下宿していた場所に記念碑建立を計画し、ライプツィヒ市や生地である大分県竹田市の協力を得て2003年6月29日の命日に建立されたことを知りました。

今回のベルリン公演に際し、ライプツィヒに行って是非この記念碑に手をあわせたいというのが私の旅行目的の一つでした。但し、この記念碑に辿りつくまで、生来の方向音痴である私には困難が付きまといましたが、幸いにもホテルのフロント係の女性が一生懸命地図で探してくれ、加えて旅慣れた小田原のSさんが同行してくれたので思いのほか短時間で行くことができました。この記念碑の周辺はちょうど上野の国立博物館から芸大周辺に似た雰囲気で人通りも少なく落ち着いた佇まいの街並みでした。記念碑には、上部に彼のレリーフが、下部には日本語で「日本で敬愛されている作曲家、滝廉太郎(18791903)は1901年から1902年の間、フェルディナンド・ローデ通り7番に住み、ライプツィヒ音楽院で学んだ。短い一生の中で数々の名曲を残し日本の近代音楽の扉を開いた業績は永遠に輝き続ける」と刻まれ、その下にドイツ語で同文が刻まれていました。この地に100年以上前、日本人留学生がただ一人病に罹り住んでいたと思うと感慨深いものがあります。それだけに日本人の私にはライプツィヒの人達の気持ちが大変うれしく、西行の「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌の心境でした。このことを後日ベルリンで茅ヶ崎のKさんご夫妻に話したところ、「ベルリンの後、ライプツィヒに行くのでぜひ寄ってみたい」とのことでした。記念碑自体は、とりたててどうこう言えるものではありませんが、建立の経緯、滝廉太郎とライプツィヒ市民の想いを考えると多くの日本人に行ってほしい場所です。

滝廉太郎については、去年NHKで放送された「坂の上の雲」の中で、広瀬少佐がロシア駐在を解かれる帰国前の送別の宴でロシアの友人がヴァイオリンとピアノの伴奏でゆったりと弾き出され切々と歌われた「荒城の月」は、「これぞ日本の名曲」といえるものでした。聴いていたロシアの婦人が「日本人にこんな曲が創れるはずがない。西洋人のものまねだ。」といって会場を退出したシーンは印象的でした。「荒城の月」は日本では最近演奏される機会が少ないように思えますが、海外のコンサートではヴァイオリンで演奏される機会が増えているそうです。日本の名曲として永く歌い継がれるべき曲です。

またライプツィッヒは、バッハとともにメンデルスゾーンにとってもゆかりの地です。 彼は、ユダヤ人であったためにナチスによって彼に関する書物は破棄されてしまい不明な点が多く評価は必ずしも高くありませんが、作曲のみならずバッハの死後80年経って「マタイ受難曲」を発見、その音楽的価値を当時ただ一人認識して周囲の反対を押し切って初演し世に広めました。つまり、メンデルスゾーンがいなければ「マタイ受難曲」は現在も存在しなかったことになります。加えてライプツィヒ音楽院を創設し後世に大きな影響を与えた功績はもっと評価されるべきではないかと思います。この点から、多少こじつけになりますが、音楽的な面は別にしてライプツィヒ音楽院に学んだ滝廉太郎はメンデルスゾーンを経 由してバッハ→メンデルスゾーン→滝廉太郎 という縁で結ばれているように私には思えました。ライプツィヒとベルリンで地元の人に「日本から来た」というと返ってきた言葉はいずれも「マサアキ スズキ」(鈴木雅明さん)でした。私はてっきり小澤征爾さんとばかり考えていましたので意外でした。日本人でドイツ人以上にバッハを理解し演奏する鈴木雅明さんに対する尊敬の念は相当なものでした。ドイツ人のバッハに対する思い入れは私が想像できないほど深いもののようです。

バッハについては、ベルリン公演で「主よ、人の望みの喜びよ」を歌いましたが、私は「第九」のみの申込みにもかかわらず、第1回の練習で受付にいた亥年生まれの強引な小川さんに「日本の歌、ドイツの歌もやりなさい」と強制的に練習代金を徴収され歌うことになりました。この曲は学生時代に友人に教えられディヌ・リパッティのピアノでよく聴いていましたが、まさか自分がこの曲を歌うとは思いもしませんでした。ピアノを聴くだけとは違ってやはりバッハを歌うのは難しいとおもいましたが良い経験をさせてもらいました。

ライプツィヒは、この他ゲーテにもゆかりがある等じっくり歩いてみたい町です。機会があれば再訪してみたい素敵な町でした。

なお、この「滝廉太郎記念碑」建立の詳細については、海老沢敏著「滝廉太郎」(岩波新書)に記されていますので興味のある方はご覧になって下さい。       

2.ニュルンベルグの「タンホイザー」と強烈なしっぺ返し

ベルリン公演のあと、私たちのグループはドレスデンからニュルンベルグへ向かいました。ドレスデンでは、今回の旅行の目的のひとつでしたゼンパーオーパーでのコンサートは既に売切れで、当日券を購入するため開演直前までSさんとチケット売り場に並びましたが、長い行列で入手できませんでした。ゼンパーへ行くのにホテルを出て市電に乗るときに熊本のMさんから「ダフ屋から法外な高値でチケットを買わされないようにね」と忠告をうけましたが、結果的に被害はありませんでした。Mさんとは、その後バイロイトへ向かう途中、休憩で立ち寄ったドライブインの土産物売り場でかわいいクッションを買おうかどうか迷っているMさんに、私が「どうしたのですか?」と声をかけたところ、Mさんは「孫にどうかと思って。でも、この頃ませてきてかわいくないの」というので私がすかさず「しようがないでしょ。おばあちゃん(Mさん)に似たんでしょうから」と憎まれ口をたたいたところ、この後とんでもないしっぺ返しが待ちうけていました。

ニュルンベルグのホテルへ夕方に着き、近くに市立歌劇場があるというのでSさんと今日のチケットを買っておこうと午後5時過ぎに早速でかけました。行ってみると、今日はなんと私の大好きな「タンホイザー」なのです。本場ドイツで「タンホイザー」を聴けるなんて「運がいいな」と喜びも束の間、今日は5時開演でチケット売り場は既にクローズしていて買えないのです。ガラスのドア越しに歌劇場の人に何とか入れないか頼んでみましたが、埒があきません。ちょうど序曲が終わってヴェヌスヴェルグの音楽が微かに聴こえてきます。「タンホイザー」の第2幕4場の「歌の殿堂を讃えよう」(大行進曲)は私の最も好きな曲の一つでいつも元気と勇気を与えてくれるので私は「ここまで来て聴けないなんて,なんとかならないか」と粘ってみましたが、どうにもなりませんでした。しかたなくあきらめてホテルに戻り、ドイツ最後の夜ということで皆で食事にでかけましたが、歌劇場の前を通って行くので建物を横目に見ながら未練たらたらです。食事が終わり帰りにまた前を通ったら幕間で聴衆が建物前の広場にでてシャンパングラスを片手に談笑しているのです。「タンホイザー」が良かったのが嫌でも伝わっ              てきます。私は居ても経ってもいられず、語学が堪能で恰幅がよく押しが強いTさんを引っ張っていき

「明日、日本に帰るので何とかならないか?」と再アタックしてもらいましたが、「今はチケットを買おうと思えば、インターネットでも買える」とのことで拒否され希望は叶いませんでした。計画性のない私は、これまで行き当たりばったりで海外ではいつも当日券を買っていました。ウィーンでは多くのコンサートホールや歌劇場があるので当日でも全く行けないということはありませんでしたが、これからは考えなおしたいと思います。こうして「タンホイザー」を聴くことは叶いませんでしたが、ベルリン公演や旅の疲れもあってその夜はぐっすり眠りました。

そして翌日、朝食をとっていると、突然Mさんが私の前にやってきて「丸さん、私昨日オペラをみてきましたの。」と申し訳なさそうに言うのです。私は絶句して食べ物を喉に詰まらせそうになり「まさか、『タンホイザー』ではないですよね」と聞くとそのまさかで、Mさんは「ええ、『タンホイザー』を聴いてきました。とってもよかったですよ。丸さんにも聴かせてあげたかったわ。」と、こちらが一番気に障ることを平気で言うのです。しかも、尼崎のNさんの知人が歌劇場オーケストラのトロンボーン奏者で、幸運にもその人は昨日の出番が後半なので会えたうえに是非聴いて行くようにと席を用意してくれMさんと二人で最後まで聴けたのだそうです。私は、Mさんの人柄はよく承知していますので申し訳なそうに言っているのはわかりますが、この時ばかりはMさんが年長の「意地悪ばあさん」にみえました。

ドイツ滞在最後の日、フランクフルトへ向かう途中の昼食後、この「幸運な女性2人と不運な男性2人」で記念写真をとりました。忘れられない写真の一枚です。帰国後Nさんが、ニュルンベルグ歌劇場での「タンホイザー」終演後、歌劇場内のレストランでMさんとドイツ人のトロンボーン奏者ブショアさんと3人で一緒に会食した時の写真を送ってくれ、「突然の幸運に恵まれて幸せな時間をすごしました。2人ともいい顔してるでしょ。」との添書きに私はSさんと地団駄を踏んで悔しがり、いつかウィーンかザルツブルグで私の一番好きな『モーツァルトのピアノ協奏曲第27番K.595 』を聴いてリベンジをしようと誓いました。

このように「ドイツの風」は私にとって必ずしも心地よい風ばかりではありませんでしたが、思い出多い心に残る旅でした。

3.横島先生の「第九」

ベルリン公演では、横島先生が日本人指揮者として初めて「国境なき合唱団」の指揮台にたたれました。横島先生には、日本での最後の練習で「テノールはすばらしい」と褒めていただきこれまで褒められたことのない私(実際には私ではなくパートが褒められたのですが)は有頂天になり、練習後の飲み会では調子に乗って先生に「再度褒めて下さい」とお願いしたところ快く了解いただき、うるさい我が家の女たちに聞かせるために練習用に持っていたICレコーダーに録音させてもらいました。

家に帰って家内に水戸黄門の助さん・格さんのごとくICレコーダーを印籠代わりに「これが聞こえぬか!」とかざしましたが、肝心の「テノールはすばらしい」の部分が録音されておらず先生の「奥様も一緒に『第九』を歌いましょう」という声が飲み会の喧騒と嬌声とともに入っているのみでした。呆れた家内曰く「先生に褒め言葉を強要する弟子がどこにいるの。だいたい指揮者がこんなダミ声なわけはない。どうせ安い居酒屋で意気投合した見知らぬ酔っ払い同士でしょ。」横島先生、大変申し訳ありませんが、我が家では先生はこのように呼ばれています。

本番では、先生とは練習以外でも十分コミュニケーションをとらせていただいたことや髪を掻きわけ掻きわけての熱演が私にも乗り移ったせいか、これまで一度もでなかった高音部も声がでるなど今までで最高の出来でした。初参加の若いHOさんは感激して大泣きしていました。横島先生は、褒め上手で人を乗せるのがうまく一言でいえば「美点凝視」の人で私にはピッタリの指揮者です。

本番後の打ち上げは、毎度のことながら大変な盛り上がり様で、私は座る席を間違えてしまい一番騒々しいグループの席に座ってしまいました。横島先生は、私たちの前のテーブルまではにこやかに記念写真を撮っていましたが、私たちのテーブルではあまりの盛り上がりに一瞬先生の顔が引きつったようで早々に次のテーブルへいかれました。打ち上げの最後にみんなで歌った「さくら、さくら」や「ベルリンの風」は忘れられません。

なお、本番前の練習で佐藤先生が授けてくれた「居眠り防止策」は、シンガポールで前科のある私とSさん用のアドバイスかと思いましたが、どうやらウィーンでも居眠りしていた猛者(殆どは猛女だそうです)もいたようで効果は絶大でした。

打ち上げの後、横島先生の食事に佐藤先生、原先生、メゾ・ソプラノの日野妙果さんや合唱団のみなさんとお伴させていただきました。横島先生は、演奏会での研ぎ澄まされた神経と高揚した気持ちをほぐしその日の演奏を振り返って次の構想を練るためか本番後は夜明けまでかけてゆっくり食事をとるのだそうです。芸術家の想いや考えを生で聞くことができ貴重な体験をすることができました。この時に私が「次回も横島先生と日野さんでやれたらいいですね。」と言ったことがプラハでも実現しうれしく思います。


4.王野さん、実行委員のみなさん、べしさんありがとうございました。

ベルリン公演は「国境なき合唱団」が創設以来の困難に直面しましたが、王野さんはじめ実行委員のみなさんが公演成立までの参加者募集から練習会場の確保、パンフレット作成、DM発送まで何から何まで手作りで大変なご努力をいただき実現しました。佐藤先生と原先生、kntの仲田さんのご支援も得てウィーンやシンガポールに勝るとも劣らないすばらしい公演となりました。今振返ってみても実行委員の方々のご苦労は並大抵のことではなく、それだけにベルリン公演が成功裏に終了し感慨もひとしおではないかと思われます。公演後の横島先生の食事に付き合った王野さんは精根を使いはたしたというくらいの疲れようでしたが、それでも痩せなかったとのこと。これくらい図太くなくては実行委員長はつとまりません。実行委員の皆さん、今後も健康に留意して合唱団を束ねて下さい。

合唱団は、10年続くかどうかが一つのハードルと言われています。34年であれば勢いでできるけれども10年となると団員一人ひとりの努力がないと続かないそうです。「国境なき合唱団」の平均年齢はわかりませんが、同じメンバーであれば、ウィーンから5歳平均年齢が上がっていずれ高齢者合唱団になってしまいます。幸い前回は、口では「新参者」といいながら態度は「最古参」の大変賑やかな浦安のTさん、恐い寅年のお母さんに無理やり参加させられたにも拘らず一番感激したHちゃんとお嫁さんだけでなくお義母さんにも尻に敷かれているかわいそうなYちゃんの若夫婦、初めての「第九」で入れ込み過ぎて本番が終わるまで仕事が手につかなかった仙台のMさんご夫妻、うらやましい位仲の良い茅ヶ崎のKさんご夫妻と奈良のOさん父娘等々新しい仲間も増えました。一人一人ができることを地道に取り組み、是非この合唱団を長く続けたいものです。

それから、コニたん、1冊の本になりそうな位たくさんの情報ありがとう。方向音痴の私には大変役立ちました。また、ベルリンへ行けなかった岩田さん、実現に向けいろいろな面でご尽力いただき有難うございました。べしさん、ベルリンでは案内していただき大変お世話になりました。草鞋2足分はあろうかという巨大なシュニッツェルを食べさせられ辟易していたところへ和食店を紹介いただき助かりました。また、ベルリン国立歌劇場が大改修で3年間閉鎖するので観ておいたほうが良いとベシさんに薦められ「サロメ」をみましたが殆ど居眠りをしていました。申し訳ありません。後でIさんに「男が『サロメ』で居眠りしているなんて信じられない。」と揶揄されました。

この他、ブランデンブルグ門で歌った「第九」「そーらん節」は気持ちよかったですね。実行委員のみなさん多くの良い思い出をありがとうございました。

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今回のタイトルとはかけ離れますが、どうしても触れないわけにはいきません。東日本大震災や福島第一原発で被災された方々には心からお見舞申し上げるとともに一日も早く落ち着いた生活を取り戻せることを切に願っています。

東北については、私は奥入瀬の渓流散策が好きで朝656分東京駅発の「はやて」でよく行っていました。行き帰りに各地に寄り陸前 高田、気仙沼、遠野、八戸等東北には日本の原風景ともいうべきところが多くあります。それだけに復興を願わずにはいられません。

私事ですが、今回の大震災で仙台にいる娘夫婦と孫が被災しました。311日の夜は雪が降りとても寒かったそうです。出先から着 の身着のままで避難所へ行った娘は支給された一人一枚の毛布で自分の毛布を半分孫にも巻いて寒さを忍んでいたところ、毛布を2枚 持っているという親切な地元の人が「赤ちゃんを風邪ひかせないようにね」と1枚分けてくれ、おかげで孫は風邪も引かずにすみまし た。当夜は毛布2枚でも耐えられるかという寒さにも拘らずご自分の毛布を1枚分けていただき、ニュース等で伝えられる東北の人達の 親切、思いやり、礼儀正しさを娘と孫は身をもって知りました。

東北を代表する花に「コブシの花」があります。春を告げる清楚な花で、東北地方では「田打ち桜」と呼ばれ特別な意味を持つ花だ そうです。千昌夫さんが歌う「北国の春」にも「こぶし咲くあの丘北国の—-」と歌われています。今年の春、コブシの花は北風に向かって悲しみに耐えているようでした。しかし、どんなに困難な状況であっても音楽は「生きる  力」を与えてくれます。来春のコブシの花が咲くころには復興に向け「第九」の歌声が東北各地で高らかに響きわたることを願わずに はいられません。

私の考える復興へのキーワードは、1.「不撓不屈」(絶対に負けない心), 2.「ともに生きる」(家族や友人、ペット、趣味など何 かと一緒に)、3.「復活」(東北の人達がもつ忍耐強さ、純朴さ、思いやり、礼節等により過去の大災害から何度も立ち上がった)3つです。どんなに不運に見舞われても、不幸になってはいけません。幸・不幸は心の持ち方一つです。東北のみなさんには、是 非この困難を乗り越えてほしいと思います。

長くなりましたが、最後にプラハ公演に向けてワンポイントアドバイスです。「おまえにだけは言われたくない」という人が殆どで しょうが、私ができる唯一のアドバイスは「笑顔を忘れずに」ということです。佐藤先生も練習で度々指摘されているように笑顔があ るかないかで声の表情が全く違うそうです。これが出来そうでなかなか出来ませんので是非本番では想い出して下さい。プラハでは困 難な状況にあってもくじけない日本の「国境なき合唱団」の心意気を示して下さい。

もっとも、先生から「そんなことを言う前に飲み会だけでなくちゃんと練習に出なさい。」と叱られそうですが。

国境なき合唱団は、佐藤先生の人柄もありアットホームで毎年2~3ヶ月の練習がは

じまると実家に帰ったような安らぎを感じます。先生によれば、プラハはすばらしい街だそうです。プラハ公演の成功とみなさんが心に残る旅となることを願っています。

次回は必ず参加したいと思います。ありがとうございました。

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感動のコンサートから、もうすぐ2ヶ月。
私は、10月18日出発コース。成田に集まった団員は、女性ばかり17。チームワーク抜群!で、合唱団全員集合場所のベルリンへ出発しました。
 コンサートの様子は、テノールH・Yさんにお任せして、アラカルトで感動の日々をお伝えします。

 フランクフルトに着いたのは、日曜日の夜。少々おなかを空かせたメンバーは、食事場所を求めて夜の町へ。鳴り響く教会の鐘の音を聴きながら、お散歩をしました。
ホテルのすぐそばの公園で、野うさぎたちが遊んでいるのをみつけました。
街中の公園で、びっくりでした。
 翌日は、メルヘン街道を走り、いざベルリンへ。
私のテーブルは、この合唱団で出会ったいつも仲良し3人組。フルーティーなべルリンビールとお豆のスープ、ソーセージという、ドライブインでの夕食は、現地のガイドさんに「ベルリンならではのメニューです!よくできました」と褒められてしまいました。


 20日、さあ、いよいよ練習開始。アルトは、第1日めにして、早くもティンパニーさんと、アイコンタクトですっかり仲良くなりました。
ドイツ国際平和村スタッフのお話も聴きました。みんなそれぞれに、トランクに詰めて持って行ったプレゼントを、無事お渡しすることも出来ました。今回私は、スケッチブック2冊に、折紙の折り方を日本語と英語で書いたものを作りました。(残念ながらドイツ語では無理でした)見本をつけて、庭に咲いたお花の写真を貼りました。ボランティアさんと子どもたちが一緒に遊んでくれたらうれしいな、と思い少し色紙も入れました。出会ったことのないボランティアさんに子どもたちをお願いします、とお手紙を入れたら、先日丁寧にボランティアさんからお手紙をいただきました。「何か少しでも」これができるのが、この合唱団のすばらしいところの一つです。
 21日、ブランデンブルグ門でのパフォーマンスは、最初少し恥ずかしかったのですが、聴いてくださる方が集まり、歌っているうちにだんだんノッテきました。クセになりそうです!リハーサルの後は、ベルリン・シンフォニエッタの方が、ホールを案内してくださいました。とても丁寧に、戦火をくぐってきたホールの歴史を説明してくださいました。私はお別れするとき、金平糖をプレゼントしました。
毎回いろいろな方との出会いが楽しい、このツアーならではの充実した時間です。
今回出発前に、シンガポールでのコンサートDVDを見ました。自分がとてもむずかしい顔をして歌っていました。だから今回は楽しんで歌おう、と決めていました。「ベルリンの風」は、とっても楽しく歌いました。第九は、いうまでもありません。感動!でした。


 コンサートの翌日は、「べしさんツアー」に参加しました。コンサートの日も、遅くまでご一緒してくださり、お疲れだったと思うのですが、世界史の時間にきいた単語が、べしさんのお話でつぎつぎと繋がり、私の頭の中にドイツの年表が出来上がっていきました。
べしさん、本当にありがとうございました。

べしさんご推薦のりんごケーキ、おいしかったです。


 今回、18日出発メンバーは、移動で一緒だったバスのドライバーさんと、
「ベルリンの風」を2回歌いました。
1度めは、昼食のレストランで。食事していた方やお店の方もニコニコ。
2度めは、お別れ間近のバスの中で。
歌は、いいですね。人と人の距離を、ぐっと近づけてくれます。

番外編写真 これが一番!?


「忘れた人、 誰ですか?」
横断歩道で見上げたら、この光景でした。

今回も、大勢の方のおかげで、
とても素晴らしいコンサート、とても楽しいツアーでした。
来年のため、歌のお稽古に励む今日この頃です。
追伸
こにさん、ばーむくーへん、おいしかったです。
以上、番外編アラカルト(食べ物編???)でした。
adobe creative suite 6 master collection

TANABATAのヨッシーでした。

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人生に一度あるかどうか、という感動が今回もまた、私をつつみこみました。
 
平成19年11月、私は子供の頃からの合唱好きが高じて、エフエム東京主催「国境なき合唱団」チャリティコンサートに合唱ボランティアとして参加し、ウィーン楽友協会大ホールで、第一部「ウィーンの歌・日本の歌」と共に、ベートーヴェン交響曲第九番「合唱」を歌う幸運に恵まれました。私にとって第九は、同15年6月、徳島県内で単身赴任中に参加した、鳴門(日本の第九初演地)での第九演奏会ではじめて歌って以来の合唱でした。ウィーンでは、世界一のホールでの演奏会はまさにホール自体が音楽を優しく育んでくれるものだと、心と体の底から震えるような体験をすることができました。これが国境なき合唱団とのご縁のはじまりです。
 
格調高い音楽の殿堂コンツェルトハウス
 私は昨年のシンガポール公演は残念ながら欠席しましたが、今回のベルリン公演は無事に再び合唱ボランティアとして、「日本の歌・ドイツの歌」と第九の両方に参加することができました。会場はベルリンで最も由緒あるホールの一つであるコンツェルトハウスです。

(演奏会場ベルリン・コンツェルトハウス)
 
ベルリンの音楽会場ではベルリン・フィルハーモニ管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーが特に有名ですが、総座席数2,200を超え、機能的なフィルハーモニーと比較して、コンツェルトハウスは一階席が約700席、三階席まで含めても1,400席程度と比較的小規模ですが中はきわめて格調高くまさに音楽の殿堂、とそれぞれの特色があります。音響については、今回のベルリン滞在中、コンツェルトハウスでは合唱団員として、フィルハーモニーでは同管弦楽団定期演奏会の観客として体験しましたが、いずれもホール自身が音楽を育むすばらしい名ホールであると感じられました。

(ベルリン・フィルハーモニーの前で佐藤先生、原先生、同志の皆さんと一緒に)
 
楽しく充実した練習
 一般論として下手な合唱団の二大特徴は、①音程が下がる、あわない、同じパートを歌っているはずなのに(ときどき現代音楽的に)ハモる、②出だしを間違えて、もやもやになるか輪唱になる、ことだそうです。私たちの合唱団もこの二大特徴をいくらか(?)備えていましたが、今回も指揮者である佐藤一昭先生とピアノの原恵子先生による、粘り強く私たちを「のせる」ご指導により無事、演奏会にのぞむことができました。国内での練習は、今回はJALが諸事情でスポンサーから離れられたため、その施設が使えず、港区内を中心として公共施設をあちこち回りましたが、同志の皆さんと共に元気に皆勤しました。
 
特に今回は実行委員のIさんが、練習会場のどうしても予約できなかった週に、新橋の所有ビルの一フロアを練習会場としてご提供いただくなど感謝感激でした。同ビルの一階にある系列のおしゃれなレストランで練習終了後、前祝いの祝杯を何度あげたことか・・。Iさん、この場をお借りしてあらためて、あつく御礼申し上げます。
 
本番で第九を指揮してくださった横島勝人先生のご指導も極めて明快で、そのお顔を見ているだけで指揮の意図が私なりによく理解でき、我々も心をあわせて歌うことができたと思います。Freudeの「出だしフライング大歓迎!」との御指示には大変驚きました。

(ベルリン初日の練習会場マックス・プランク中等学校にて。ドイツ国際平和村への御寄付の品々贈呈もここで行われました。)
 
心あたたかいオーケストラ
 第九のオーケストラであるベルリン・シンフォニエッタの皆さんも非常に心あたたかく、短い練習日数でしたが、一緒に有意義な時間をすごせました。どこのオーケストラにも驚くほど心やさしい人たちがいますが、今回の演奏会ではティンパニの元気なおじさんやビオラ首席奏者の好青年などとは、廊下などですれちがうたびに握手をして一言二言、挨拶をかわすことができる仲になれました。彼らから「うまくいっているよ」というようなことを言ってもらうと、お世辞が上手だなーと思いつつも、やる気がすごく高まります。卓越した指揮者の指導の下、オーケストラ合わせをし、すばらしいソリスト四人も加わって、ベートーヴェンの第九という大曲が音楽としてどんどん出来上がっていく過程を見ることは今回も最高の体験でした。
 
日独混成男声陣の大健闘
今回の演奏会はウィーン、シンガポールに次いで三回目ということで、参加者はきわめて熱心な方々が全国各地から集まりました。一方、人数はウィーンのときの約250人に比べて全体としてやや少なくなりました。テノールでは優秀な若手たちの新加入があったものの、男声バスは人数的に少々厳しい状況でした。このため、在ベルリンの女声アンサンブル「和(なごみ)」の皆さんの他、在ベルリンの日本人男声二人、現地ドイツ人合唱男声チームから八人ほどが第九を中心として応援出演してくださいました。おかげさまで、女声陣の声のなめらかさと厚さがさらに増したのに加え、手前味噌ですが、国境なき合唱団男声陣のめざす「青空のように透明感の高い安定したテノール、吸い込まれるような深いバス」の境地にさらに一歩近づくことができ、今回の充実した演奏会につながったと思います。


(演奏終了後の男声楽屋。あふれる笑顔)
 
 指揮者から合唱団への指示は、やむをえないこととは言え日本語中心となるため、ドイツ人合唱チームは当初かなり戸惑ったようです。日本人男声陣が折にふれて進行状況を英語で説明するなど、コミュニケーションに努めた結果、急速に仲が良くなりました。オーケストラと同様、人の良さそうなメンバーをまず見つけて積極的に笑顔で話しかけ、友情の輪をだんだん広げていくのがコツのようです。舞台で胸につけるお揃いの国境なき合唱団バッジを差し上げたところ大変喜ばれ、先方の合唱団バッジもいただきました。
 
終演後、ドイツ人チームのあるメンバーから私に「皆さんはどのように第九を練習し、暗譜したのですか。皆さんはプロの合唱団ですか。ベルリンで一月ぐらい滞在して練習してきたのですか。」などと質問がありましたので、「私たちは純粋なアマチュア合唱団で、私を含めて皆、本業を持っています。合唱団は二年前のウィーン公演で発足しましたが、演奏会前の日本での練習回数は九回程度です。ベルリンには今週月曜日に来たばかりで、五泊ほどの滞在です。」と答えたところ、非常にびっくりされました。単細胞の私はこれを彼らの私たちへの良い評価と素直に受け取り、がっちり握手をして別れました。もしかしたら「アマチュア」の概念が日独で違うのかもしれませんね。
 
演奏会大成功
 音楽会が多く競合する欧米では集客に少々苦労するところですが、今回、お客様も十分に入ってくださり、第九演奏終了後は、日本ではまず体験できない、欧州独特の床をがたがた踏み鳴らしながらの大拍手をいただきました。さて、どんな出来栄えだったのか、録音を聴くのがとても楽しみです。学生時代の試験のように「自分では百点近くとれたと思っても、戻ってきた採点では普通の出来(涙)」ということも考えられますが・・。
 
 今回、私は実行委員長である王野百合子さんのご指名により、実行委員の一人をおおせつかりましたが、私自身はたいしたこともできず汗顔の至りです。リーマンショック、新型インフルエンザからはじまって次々と押し寄せる大中小の諸問題に対して、驚異的な「粘る力」を発揮された王野さんを中心に、実行委員、参加団員一同がチームワークよくまとまり、主催されたエフエム東京、後援団体、協賛企業の皆様をはじめ近畿日本ツーリスト(knt!)の強力なご支援を得て、演奏会を無事に成功させると共に、「アートボランティア」としての実をあげる段階に至ることができたと考えます。すばらしい友人の皆さんとこの過程を体験できたことが私自身の最大の宝です。
 
ベルリンを初訪問して
 私にとってベルリンは初訪問でした。現地はほぼ好天でしたが、十月とはいえ外は日中でも5~6℃という日があります。その中で、オーバー、マフラー、手袋を着込んでブランデンブルク門の前で合唱できたのはとても良い思い出です。門前ミニコンサートを企画された王野さん、市当局と許可の交渉をしていただいたknt!の小林さんと仲田さん、ありがとうございます。当初、寒さと気恥ずかしさで少々躊躇しましたが、歌い始めてみると周囲の市民や居合わせた大道芸人の皆さんの反応が非常によく、盛り上がって歌えました。
 
 本年はベルリンの壁崩壊二十周年にあたります。自由時間に市内を徒歩と地下鉄で散策してみました。本合唱団ホームページブログで圧倒的な調査力と文章力を誇る「こにさんのこにめも」と「べしさんの現地レポート」は良い手がかりです。高校生のとき国語の授業で読んだ森鴎外「舞姫」ゆかりのウンター・デン・リンデン通りやクーダム周辺など、滞在をもっと延ばしたいと思うほど美しく趣の深い街並みがあり、多数の観光バスが走りまわっている一方、ベルリンの壁やホロコースト記念碑などで示されている重く暗い過去の出来事など、いろいろと考えさせられるものがありました。
 
(マリエン通りの森鴎外記念館)
 
音楽会についても、滞在中、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会やベルリン・ドイツ・オペラ公演に行く機会に恵まれました。中学生のときからその名演奏をレコードやCDなどで毎日聴いてきましたが、この年齢になってはじめてその実演を現地で堪能できたことは今回の演奏旅行で二番目の大収穫です。

(最先端の舞台作りに挑戦するベルリン・ドイツ・オペラ)
 
 これからも「子どもの笑顔は地球の宝」をモットーに、合唱ボランティアとして皆様と歌声をつないでいきたいと思います。次の機会もぜひ御一緒に歌ってみんな元気になりましょう。本当にありがとうございました。
 
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                                             以 上

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平和村担当の小笠原です。

あのすばらしいコンチェルトハウスでの演奏後、私はひとり別行動を取らせていただいてオーバーハウゼン市にある「ドイツ国際平和村」を訪問しました。

「私も行きたかった」というお声をいくつか伺っておりますが、平和村が内戦やテロ、地雷によって傷ついた子ども達のリハビリ施設であることと、ベルリンから交通機関を乗り継いで6時間近くかかる程遠い場所であったことを理由に、皆様には大きな声でお伝えすることなくひとりで訪問させていただきました。ご理解くださいね。

皆さんの平和村へのプレゼントは、コンサート当日には村の本部へ到着し、来週アフリカのアンゴラからドイツへ治療に訪れる子ども達へ配布されることはすでにご承知の通りです。このタイミングで衣類やタオルなどのプレゼントがあったことは平和村としてもありがたかった、とスタッフの方がおっしゃってました。

そして、皆さんにご協力いただいて作った千羽鶴は、平和村へ私が持参しました。
子ども達も興味津々で、「なあに、これは?」「千羽鶴だよ、平和って意味があるんだよ」といった会話が飛び交いました。
村内にある機能訓練室の天井からつるして飾りましょう、ということをおっしゃってくださいました。
(私がドイツ語に長けていれば、子ども達といろいろ話せたところですが、勉強不足で直接会話はできませんでした・・・。そのかわり、日本人スタッフの方がお話してくださいました。)

きっとつらいリハビリも、あの千羽鶴を見ながら気分転換をしてがんばってくれることでしょう。

平和村には9カ国から治療とリハビリのために子ども達が滞在しています。
幼いうちに親元を離れ、知らない土地で知らない言葉を話す人の中に入り生活しはじめたときはきっと不安だったことでしょう。
でも、そんなことを感じさせないくらい子ども達は元気に遊んでいて、国の壁を乗り越えて仲良く過ごしています。
そりゃあ、子どもですからケンカも時々あるみたいですけど。
決して喜ばしい状況ではないのだけれど、苦しさ、さみしさ、痛みとの戦い、そんな中でも子ども達同士で肩寄せ合ってがんばっている姿を見て私はとても大きなパワーをもらったように思いました。

20日の練習会場で、平和村のスタッフの方が見えて、皆さんにお願いされたこと覚えていらっしゃいますか?
「平和村という場所が存在し、そこで過ごしている子ども達がいることを忘れないでほしい。そして、ひとりでも多くの方に伝えてほしい。」
そうおっしゃってましたよね。

私たちにできることはそう多くはありませんが、でも何もしないよりはマシだと思うのです。

今回、みなさんにはたくさんのプレゼントをしていただきました。平和村を推薦させていただいた者として、心から感謝いたします。
さらなるお願いで恐縮ですが、ぜひ、平和村のことを皆さんの心の中に留めておいてください。どうぞ、よろしくお願いします。

最後に、平和村のスタッフさんからいただいたメールの一部をご紹介してご報告を終わりたいと思います。

『とても素晴らしい歌声を通じての、大変貴重なご寄付に
ドイツ国際平和村のスタッフ一同感謝の気持ちでいっぱいです。
一人ひとりの力が合わさると本当にすばらしいことができますよね。
なんだか初心に戻れ、今後仕事をする上で
とても重要なことを学んだような気がしています。

募金箱には、合計239ユーロ27セントが入っていました。
こちらはドイツ国際平和村の子どもたちのために大切に使わせていただきます。
また皆様より大変たくさんの貴重な物資のご寄付、
重ねまして心より御礼申し上げます。』

いつか、平和村のような存在が必要なくなる世界へと変わりますように。
そして、子ども達が私たちの力を必要とする間は、歌声を通して子ども達に笑顔を届けたいですね。

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皆様、こんにちは。こにでございます。ベルリンでの本番から一週間ちょっと過ぎましたが、皆様、お元気ですか?(^^)。いやぁ、とっても楽しい旅でしたねー(^^)/。コンサートは大成功でしたし、こにさん、なんか丸三週間くらいベルリンにいたような濃い旅でした(笑)。
          
皆様、そろそろ時差ボケも抜けて、旅の写真の整理などされておられることではないかと思うのですが、ここらで皆様から、ベルリン公演ツアーの感想/旅行記をお聞かせ頂きたくぞんじます(^^)/。旅の形は十人十色。皆様そろぞれにいろんな体験、感想をお持ちと思いますので、それを、ここ「国境なきブログ」で交換しましょー、という企画(^^)。
 
実行委員長の王野さんが、以下のメールアドレスを国境なき合唱団専用に作成して下さいましたので、こちらまでメールでお送り頂ければ幸いですー(^^)/。写真添付も、もちろん歓迎(^^)。このメールアドレスに送ると、王野さんが受信して、頂いた感想/旅行記を、ここ国境なきブログに掲載させて頂きます(^^)/
chorus.without.borders@gmail.com
 
どぞ、みなさまよろしくおねがいいたしますー(^^)/
こに
 
p.s. 新しく増えた旅の土産のお仲間は、やっぱこれでしょー(笑)
      

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いよいよ出発ですね、
12回にわたって、お伝えしました、べしの現地リポートも今回で最後となってしまいました。
最後の特集はさまざまな注意事項です。

1 気温
例年より寒い日が続いています、
皆さんがベルリンに滞在する間の予想気温は、おおむね最高10度、最低1度となっています。

2 冬時間
こちらは、日曜日までドイツ滞在する方限定です。
25日(日)の深夜3時に、冬時間に移行します。
日曜の朝に起きたら、時計を1時間もどしてください。

3 レストランでのチップ
チップの相場は、国によってちがいますが、ドイツは、5~8パーセントです。
イタリアなどと違い、ドイツでは、領収書にはチップは含まれていないので、お会計のときに、別に渡しておきましょう。
マクドナルドや、ケンタッキー、立ち食いのソーセージ屋などでは、払う必要はありません。

4 トイレ
ドイツでの公衆トイレは、有料です。
駅や、街角のトイレは、お金を払うとドアが開くようになっています。
または、掃除係が、トイレの前に陣取っているばあいもあります。
そのときは彼らに20~50セント程度の使用量を払うひつようがあります。

5地下鉄やバス
ベルリンでは、一枚の券で、バス、地下鉄、Sバーン、なんでも利用できます。
ただし、券には、一日券、一方通行券、近距離券など、種類がありますので、注意してください。
何より大事なのは、刻印です。券売機のそばにある、刻印機で日付を押さないと、チケットは無効です。
また、バスに乗る場合は、バスの前方から乗って、運転手からチケットを購入しましょう。

6美術館などへの入館。
美術館などに入館する場合は、手荷物は、必ずロッカーに入れるか係りの人間にあずけてください。
預けないといれてくれません。
また、公立の美術館(美術館島など)ではフラッシュをたかない限りカメラ撮影はOKです。
教会などでのフラッシュ撮影も遠慮しておきましょう。

7喫煙について
ドイツでは、レストランや、駅構内など、公の場所での喫煙は禁止されています。
タバコをすいたくなったら、外に出て吸うと覚えておきましょう。

以上が旅の注意事項です。

それでは、皆様にお会いできるのを楽しみにしておきます。

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ベルリンといえば、やはりベルリンの壁。
ベルリン観光では、やはり、絶対にはずせないところでしょう。

今年は、ベルリンの壁崩壊20周年であり、崩壊記念日の11月9日には、さまざまなイベントが用意されています。

ベルリンの東西を分割していた長い壁も、再開発の為、今ではほとんど残っておらず、それなりの長さを残している壁は、もう3箇所しかありません。

そのなかで、立地的にもお勧めなのが、チェックポイントチャーリー近くの壁です。


コンチェルトハウスから徒歩10分あまり、アメリカ人の写真が大きく掲げられているので、遠くからでもすぐ見つけられます。
FriedlichStr.とZimmerStr.の交差点に位置するこの場所は、東西ドイツの関所として、機能していました。

ここには、壁に関する博物館が併設されており、壁の歴史を知る上で、とても面白い展示がされています。時間があれば、ぜひ、こちらにも立ち寄ってみるとよいでしょう。

さて、この交差点から、西に200メートルほど進んだところにベルリンの壁が見えます。
100メートルほどの長さですが、当時の壁がそのまま残されているので、ぜひ、一度見てみてください。

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ドイツの料理は、一般的に、油っぽく、塩気が多いため、人によっては、
「もう無理、日本食が食べたい!!」
という方もいるかもしれません。

しかし、日本語の看板につられて入った寿司屋が、外国人経営の変なすし屋だったというのはベルリンではよくある話です。
実際に、日本人がやっている日本食レストランはベルリンでは10件ほどです。

その中でお勧めしたいのは、

日本食レストランよしおか。

実は、僕、阿部がバイトさせてもらっているところです(笑)

日本人スタッフのみが働いている、お店なので、もちろん日本語OK。

クラシック好きの店主が30年前に、立ち上げたお店で、
今でも、ドイツ人、日本人問わず、たくさんの音楽家の方がたに愛されて続けているお店です。

営業時間は、17:30~23:30(水曜定休日)

値段もリーズナブルで、晩御飯用のセットメニューはもちろん、おつまみ用の一品も充実しており、日本の居酒屋のような雰囲気で飲むこともできます。

ただ、問題は、立地。
コンチェルトハウスからは、距離がある上、わかりづらい場所にあるために、交通手段がタクシーになってしまうのが難点。(地下鉄で行くなら、最寄の地下鉄の駅は、U7・U3Fehrberlinerplatz)

Ka De Weやドイツオーパーなどの西の主要地点からは近い立地なのですが、
コンチェルトハウスからだと、タクシーで15ユーロほどかかってしまいます。
複数人で、タクシーあいのりができるのであれば、お勧めのお店です。

Japanische Restran Yosioka(レストランよしおか)

Tel. 030 873 5733

Brandenburgische Str.77

http://www.yoshioka.de/39994.html

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10月14~25日までの期間、つまり、ちょうどみなさんがベルリンに滞在されている間ですが、

ベルリンのウンターデンリンデンで、
Festival of light
という、イリュミネーション企画があります。

 


テレビ塔、ブランデンブルグ門、ベルリン大聖堂、国会議事堂などなど、
ウンターデンリンデン通りの主要な観光スポットは、光のアーティストたちによって、美しくライトアップされます。

時間は夜19時から、

昼間とはまったく違う姿を楽しむことができます。

http://www.city-stiftung-berlin.eu/

 

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世界遺産の一つでもある、美術館島。

ベルリンにきたら必ず一度は訪れてほしい場所です。
19世紀、スプリー川の三角州に立てられた5つの美術館
それらを総括して、ムゼウムインゼル(美術館島)と呼ばれます。

5つの美術館には、それぞれ個性があり、おおよそでわけると

Alte Museum(旧博物館) 紀元前20~紀元後3世紀 アテネ、クレタ周辺のギリシャ・クレタ文明。

Pergamonmuseum(ペルガモン美術館) 紀元前10~紀元後10世紀 西アジアのギリシャ・ローマ文明、バビロニア・イスラム文明

Neue Museum(新博物館) 紀元前30~紀元後3世紀 エジプト文明

Bode Museum (ボーデ美術館)中世~バロック時代の彫刻

Alte National Garary(旧国立美術館)18~20世紀の絵画

と、ここさえ回れば、西洋の美術史を総括できるほどの、所蔵です。

この美術館島は、第2次世界大戦の空襲で廃墟となってしまいました。
それから半世紀以上。廃墟のなかから一つずつ美術館を修復していき、 

今日、この2009年10月17日。
さいごに残されていた Neues Museumの開館をもって、実に66年ぶりに美術館島の全ての美術館が復旧されることになります。

もし、みなさんの公演が一週間早ければ、美術館島はまだ未完成のままでした。
とてもいいめぐり合わせですね。

しかし、それぞれ一つの美術館だけで、半日~1日はかかってしまうこの美術館島、全部回るのは到底不可能です。
金曜日の自由時間をみっちり使っても、1,2の美術館を回るので精一杯だと思います。

そこで、特にお勧めの美術館の上位3つ。

1位はペルガモン美術館。
入館すると正面にそびえる、ペルガモンの大フリーズ、荘厳なイシュタール門などは、見るものを圧倒します。
神々と、巨人、そしてヘラクレスの戦いを描いた大フリーズは、19世紀末、ドイツの調査隊によって、初めて発見されたものです。
ペルガモン美術館では、日本語のオーディオガイドもレンタル可能です。

2位は旧国立美術館
ロマン派、古典派、写実主義、表現主義。ドイツの近代の傑作絵画が並びます。
特に、ドイツロマン派絵画の巨匠、カスパー・ダビッド・フリードリッヒの作品は、ドイツロマン派の幕開けをつげました。

3位は新博物館
開館したばかりです。ベルリンのモナリザと呼ばれる、ネルフェタリの胸像が最も有名、彼女は、ツタンカーメンの妻でした。

金曜日のフリータイムに出かける方も多いと思います。
もし、希望者が多ければ、僕、阿部がガイドとして、金曜日に美術館島を案内しようとおもいます。

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