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 夜くつろいでいると東京オリンピック女子体操金メダリストのベラ・チャスラフスカさんの訃報が流れた。驚くと同時に、5年前一緒に写真を撮ったことなど得難い体験が鮮やかによみがえった。

客席にはベラさんがいる。日本大使を始め大勢の現地の方がチェコ室内フィルが奏でるベートーベンの響きに聴き入っている。いよいよ第4楽章、ソリストが「おお友よ」と歌い出して一気に集中力が高まり「国境なき合唱団」に応募した80余名と共に第九の合唱が始まった。

プラハが世界に誇るスメタナホールの響きは切れるように清明だ。遥か星座に一筋の祈りを届け、声を揃えて世界を歌う。合唱の持つ敬虔な響きを心に感じ、シラーが表した歓喜を精一杯歌いあげた。真っ先に立ち上がったのはベラさんだった。次々とスタンディングオベーションが広がり場内は歓呼に沸いた。

 打ち上げにはベラさんと娘さんも参加した。日本は第二の故郷と言い、心のこもった握手に飾らない人柄が出ていた。華やかな舞台とは裏腹に時代と政治に翻弄され、家庭問題でうつ病にもなった。栄光と挫折、そして復活と平安。力強く生きたベラさんを敬い、仲間とともにご冥福を祈った。

待ちに待ったプラハ公演のDVDが届き、早速再生しました。爽やかな風に吹かれたプラハの街角に立ち戻った心地で見入る内に演奏会の模様が現れました。スメタナホールの響きはどんなふうに観客に届いたのだろう。私のバスパートの存在感は?合唱全体のハーモニーは?と耳をそばだてる内に「日本のうた」が始まりました。

「国境なき合唱団」のことを知り、今回初めて富山県の県境から参加しましたが、3回参加した合同練習の初回で佐藤先生から日本のうたも歌ったらどうかと勧められ、思い切って参加することにしました。4曲ともややこしいところがあり、覚えるのに必死でした。 you-tube から取った合唱曲と送ってもらったカラオケを繰り返し聞き、ipodに入れてフライト中も聞き続け、本番直前にも確認して臨みました。それだけにこの「日本のうた」はとても気になるものでした。

「赤とんぼ」が静かに情感を込めて滑り出し、「ふるさと」は多くの願いを込め、慈愛と強い意志を表現できたようです。軽快・巧緻な「そうらん節」 は佐藤先生の指揮に緩急ぴったり合い、思いがけないアンコールにもしっかり応えていました。「大地讃頌」ではダイナミックな原先生のピアノをバックに各パートが競うように力一杯伸びやかな声を響かせ、「がんばろう日本」を支えているように感じました。何度聞いても心に響く合唱になっており、我な がら一員として歌ったことに満足を覚えました。

第九はこれまでにも何度か歌っていますが、毎回特徴づけるものがあり感慨も少しづつ異なります。世界に名だたるスメタナホールの合唱席に立って会場を見渡し、チェコ室内フィルと歌ったことは生涯の思い出となりました。そして最も心を打たれたのは「モルダウ」です。合唱だけで練習していた時と違い、フィルの壮大な演奏が始まって私たちの歌声がのり、ユニゾンならではの一体感と力強さがうねりとなって琴線に触れ、耳に入った途端思わず涙がこぼれました。雄大かつ優しさに満ちた旋律をフィルと合唱のコラボが奏で、こんなに深い印象を与えることを一人の観衆になって味わいました。

ツアー直前に義父の様態が悪くなりやむなく女房はドタキャンしましたが、合同練習には一緒に参加していました。練習後の懇親会で、女房は新潟から今回初参加というK子さんと話がはずみ、K子さんは同じ新潟から参加しておられるAさんに一切をお任せして付いて行くとのことで、私たちも一緒に行動しようと誘われて喜んで従うことにしました。成田で仙台からのMさんとも名のり合い、その後一緒に本当に贅沢な、そして珍道中ともいえる旅が始まりました。思い出に特に印象的だったことをいくつか書いて見たいと思います。


・ウイーンの街、美術史博物館

ウイーンの午後はフリータイムになり、横浜のH子さんも加わってAさんに引きつれられ美術史博物館に行きました。ここからはAさんのガイドぶりに唖然としっぱなしでした。有名なブリューゲルの「バベルの塔」についての解説はもちろんのこと、次から次と表れる絵画について宗教的な背景から絵のポイントまで深い深い説明があり聞く方も大変です。しかも、次の角を曲がるとこんな絵がある、と言われるので以前来られたことがあるのか聞くと今回が初めてとのこと。一体どれだけの事前調査があったのかと舌を巻くばかりです。ただ、調べる方の身にはなっても聞く方には(とりあえず私には)まるで空念仏の 如しでした。大理石で包まれたここのカフェーも豪華でした。ウインナーコーヒーやアイスクリームの解説を聞き、豊かな気持ちで味わいました。

オペラ座前の広場に腰掛けて道行く人を眺めた後、ゲルトナー通りをシュテファン寺院までぶらつきました。街頭演奏やらアクロバットパフォーマンスを眺め、孫にもってこいの簡単なおもちゃを買い、しまいにオペラ座でベートーベンとモーツァルトのマグカップを買いました(これは帰国後の素敵な日用品になりました)。

時間があるので市電で一回りしようということになり、ちょっとマップで調べた後えいやッで乗り込みました。回りの人が切符の買い方を教えてくれました。市電は途中で乗り換えなければなりません。Aさんと私とで乗り換えポイントの見方が違いましたがAさんに譲りました。結果は下車した後おろおろすることになり、この頃から現地判断は少しづつ私の方に移って行ったように思われます。

美術史博物館のカフェー   ゲルトナー通り      市電で遊覧

・黒ビールにワインに料理

私は心に残るイベントがあると1枚のA4サイズのレリーフにして残すことにしています。今回いくつか選びだした写真は1/3がジョッキーを掲げているものになりました。ブラティスラバ城の高台レストランの明るい陽光と爽やかな風の中で交わしたビールや街頭レストランでの一杯。特にプラハのビアハウスの肉料理と黒ビールは最高でした。アコーディオン演奏に日本の曲をリクエストし、立って一緒に合唱し、ゆっくりと会話を楽しみました。 話題は多岐にわたり様々なうん蓄が飛び出し笑いが絶えません。2時間で引き上げるつもりが軽く4時間を超えてしまいました。

合唱ツアーのレリーフ

   プラハのビヤホールで乾杯  パリの街頭で乾杯


・極上のカフェ

プラハでは男3人、朝5時にホテルを抜け出て旧市街やカレル橋を散策し、おおよそ街の概要を把握しましたが、ぜひともヴァーツラフ広場は見ておかなければならないとのAさんの言葉に従って午後の自由時間に5人で向かいました。プラハのシャンゼリゼとも言われる700mの大通りです。プラハの春の後ソ連軍の戦車が入り込み、ヤン・パラフが焼身自殺した場所であり、1989年のビロード革命では100万人が集うなどなど歴史上数々の出来事がありました。

  

      ヴァーツラフ広場

広場の突き当たりに見上げるばかりの豪奢な建物があり、Aさんによれば有名なプラハ駅だとのこと。プラハ駅は私も是非訪れたい場所だったので早速向かいました。立派な石段をMさんと登りな がら、線路はどこだろう、ちょっと変だね、と言って受付の太っちょおばさんに「ここは駅ですか」と聞くと、おばさんはたちまちクスッと笑って「美術館ですよ」とのこと。私たちも大いに笑いました。その後Aさんは皆を集め、すましてヴァーツラフ広場の解説をはじめました。

プラハ駅は芸術的にも価値ある有名な建物です。左に折れると500m程のところにあることが分かり向かいました。中央にドーム型の天井を持ち、回廊にはいくつも彫塑がしつらえてありますが、今駅務は地下に移ってしまい、ドーム内の時計は止まったまま、とっくに忘れ去られた佇まいです。簡素なテーブルとイスが数席ぽつんと置かれ人影もありません。かろうじて飲み物があることが分かり、奥の店員を呼びコーラを注文しました。座って眺 めまわすうちに映像が鮮明になりとても懐かしさがこみ上げてきました。40年前の凍てつく中、放浪の途中で私はプラハを訪ねたことを話しました。カレル橋の漆黒の人像は半身こびりついた真っ白な雪におおわれ水墨画のようでした。プラハの春の3年後、街中にはソ連軍の戦車が飾られ、夜、人のいない真っ暗な旧市街の広場では情宣用の8ミリフィルムが音もなく壁に写しだされていました。すっかり帳が下りたプラハ駅に降り立ち、3日後の深夜便でベルリンに向かいました。深夜の駅はコートに身を包んだ大勢の人であふれ、乗車時刻を待って一人片隅にたたずむ若き日の自分の姿が目に浮かびました。Mさんはうなずきながら「ここは極上のカフェだね」と言いました。

 

  シックなプラハ駅構内         極上のカフェ


・料理学校での「ふるさと」

パリに入る前、”のだめ”のロケが行われたというシャトー・ドゥ・ヴィニ―に寄りました。中世の物語に出てくるようなこじんまりとした城です。ツルバラをはじめ赤白の花が咲き乱れ、堀の水面には城壁が絵のように写り、広々とした庭には大きく枝葉を広げた巨木が立ち、静かなたたずまいは渋い落ち着いた雰囲気を醸し出しています。ここは城ごと日本の料理学校が買い取って料理教育に使用しており、日本からも数十名の若者が住み込みで腕を磨いているということです。場内を見学した後、私たち一団のためにレストハウスに昼食が準備されていました。高卒間もない研修生たちが料理し、給仕も研修生です。またも昼のワインを頂き、研修生の話を聞きながら料理を味わい至福のひと時を過ごしました。私は「お返しにふるさとを歌おう」と言いました。Aさんが前に立って指揮を始めるや、訳もなく涙があふれ出し歌も途切れ途切れになってしまいました。私は、年がいくと涙もろくなってしょうがないなと心の中でうそぶいていました。

       
   シャトー・ドゥ・ヴィニ―       勢ぞろいでご挨拶
      
        Dコースの皆さんと

・パリの地下鉄

地下鉄を使ってルーブル美術館に行こうということになり駅に行きました。販売機でのチケットの買い方が分かりません。5人5様で試みましたが現地判断では私の方が勝っていました。子供の操作を眺め、マウスならぬローラー式の選択器で画面を操作して購入にたどり着くことができました。ルーブルでAさんの解説をたっぷり聞き、教養を膨らませた気になった後、再び地下鉄駅に戻りました。ここでミスが発生しました。構内はいくつも枝分かれしていますが、先頭を行くMさんの後を皆疑いもせずについて行きました。ホームでは浮かれて撮影などして、やって来た列車に乗り、3つ目の駅で降りて地上へ出たところどうも風景が違うような気がしました。丁度通りかかった絶品のパリジェンヌに”ここはどこ”と聞いたら優しく英語で地図を示して答えてくれました。全く逆方向に来ていることが分かりました。Mさんは平謝り、Aさんは安全を見てタクシーで帰ろうと言いましたが私は、逆戻りすれば間違いなく帰れると言ってさっそうと先頭に立ちました。この時同行していた府中市のKさんは、日本を出る時旦那さんから絶対に地下鉄など乗るなと言われていたけれどいい土産話ができたと喜んでいました。

                  使えば便利なパリ地下鉄

・セーヌ川ナイトクルーズ

今回、期待の一つはセーヌ川ナイトクルーズでした。夕張下りる頃船は滑り出し、フランス料理とワインに軽やかなシャンソンで心は自然に浮き立ちます。Aさんはフランス語で枯れ葉を歌い出しました。両手を広げ口を突き出し、いっぱしの歌手気取りが様になっています。Mさんは軽く合わせて指揮を取り、K子さんは少しワインが入ってうっとり顔です。歌い終わった時には思いっきり相好が崩れました。期せずも後ろのお客さんから拍手が起こり、一層上機嫌です。では、ということでいよいよ合唱団の本領発揮となりました。3曲、4曲と歌い、もともとあやふやなところもあり、後半はだみ声やら消え入るやらで終わりましたが、それでもパチパチと拍手を貰い、歌ったことで満足でした。岸辺の灯りが際立ってくる頃、船上ライブの歌声は一層軽やかになり、ダンスも始まりました。客の中に我が富山県出身の新婚さんがおり皆で祝福しました。ライトアップされたエッフル塔を眺め、満たされた心地で船を降りてからも、私はバスにたどり着くまで体をゆすりながら鼻歌でシャンソンを歌い続けていました。

     

            優雅なクルージング      

・良縁奇縁

相田みつをの言葉に「そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある よき出逢いを」というのがあります。いい体験をしたこと以上に、この合唱団を通じて得た皆さんとの触れ合いはまさに奇跡の出会いのようです。帰国後の8月初旬、5名に加え、今回ドタキャンした私の女房も入れて6名が新潟のAさん別邸に集いました(Aさんはこの同舟庵を皆さんで大いに活用して欲しいとのことです)。

地元の特産品を持ち寄って話がどんどんはずみ、写真やビデオなども見ながら、日が替わってからも延々と談笑が続きました。この合唱団を通じてもっともっと隔たりのない交流が広がって行けばいいなと思っています。王野さんの熱意と奇跡的な巡り合わせでこの企画が実現したことをホームページで知りました。参加する私たちもこの奇跡を大いに活かせていけたらと思います。

        

          帰国後の交歓(新潟市山裾の邸にて)

このほかににもいろんなことがあったように思いますが、帰国後すべてをギュッと凝縮してエッセーにしてみましたので最後に記します。

それでは皆さん、またお会いしましょう。


<スメタナホールでの第九>

客席にはベラ・チャスラフスカさんがいる。日本大使を始め大勢の現地の方がドレスアップしてチェコ室内フィルが奏でる重厚なベートーベンの響きに聴き入っている。いよいよ第4楽章、ティンパニの連打の後一瞬の静寂、ソリストが高らかに「おお友よ」と歌い出した。一気に集中力が高まり「国境なき合唱団」に応募した80余名と共に第九の合唱が始まった。

定年退職を迎えた時「今後の夢」を書き出してみた。その一つが夫婦でヨーロッパの第九に参加すること。機会は思わぬところから飛び込んできた。 昨年、黒部で「レクイエム」を歌った折りの指揮者横島勝人先生からの案内だった。先生はこのチャリティーコンサートで指揮を執ることになっていた。労せず巡ったチャンスに迷わず申し込んだ。

プラハが世界に誇るスメタナホールの響きは切れるように清明だ。遥か星座に一筋の祈りを届け、声を揃えて世界を歌う。私のバスパートは8名と心もとないが、それだけにしっかり役割を果たしている充実感がある。合唱の持つ敬虔な響きを心に感じ壮大なフーガを経て、シラーが表した歓喜「美しい 神の炎」を精一杯歌いあげた。アンコール曲「モルダウ」はチェコ人の「ふるさと」。雄大な旋律は大合唱となってこだました。真っ先に立って拍手を 始めたのはチャスラフスカさんだった。次々とスタンディングオベーションが広がり場内は歓呼に沸いた。

演奏会、打ち上げ、訪問地でのハプニングや旧知の友の様に感じた仲間との数々。次はどの街で歌うことになるか、楽しみが一つ加わった。

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早くも、コンサートから1ヶ月。燃え尽きて帰国しました。毎回こんなふうなのですが、今回は、この演奏会が決まってから、日本にも自分の身の回りにもいろいろなことがあり、改めて、自分ができる時に、できる事を精一杯しなくては、との思いが強かったような気がします。歌えることの喜びが、東京での練習会、プラハでの練習会、ゲネプロ、本番、アンコールと、どんどん膨らむばかりでした。特に、「大地讃頌」は、練習の時から、歌うたびに涙があふれるのをがまんするのが、大変でした。

そして迎えた本番、第1部から大きな拍手をいただきました。最後まで集中力を切らすことなく歌い、アンコールでは再び「そうらん節」を歌いました。佐藤一昭先生と原恵子先生、合唱団員一つになってプラハ・スメタナホールで歌えたことの幸せを、感じました。

海外の舞台では、毎回予期できない困難がつきものです。でも、今回も工夫したり、我慢したりしながらよい演奏会にしようとする、団員のすてきなハートに触れ、気持ちも温かくなりました。

第2部は、ベルリンに続き横島マエストロ、チェコ室内フィルハーモニー管弦楽団、蔵野蘭子さん、日野妙果さん、西村悟さん、平野和さん、という豪華な出演者の方々で、「交響曲第九番」が始まりました。すごい!! 思わず観客になってしまい、その音に入り込んでしまいました。(どっぷり聞いていて、自分が歌うところを慌てて思い出すことも)お客さまも皆さまじっくり聞いてくださっているのが、舞台からわかり、一つになっていると感じました。

アンコールは、「モルダウ」でした。オケの前奏が鳴っただけで、もう涙が止まりませんでした。鳥肌が、立ちました。その音は、チェコのオーケストラだけが出せる音だと思いました。それは、滞在中毎日見ている川の流れそのもので、チェコの歴史そのものだと感じました。

いつも一緒のメンバーはお休みだったので、一人参加でしたが、先生方や団員皆さまとたくさんお話しができて、よくしていただき、すばらしい演奏旅行となりました。

番外編

今回のツアーで

 うれしかった。なんと言っても「幸せそのまんまのKさん」の結婚のお祝いをできたことでした。こんな出会いが人生の中にあるんだ!すごーい!私もうれしかったですよ、Kさん!

びっくりした。プラハで利用した地下鉄のエスカレータ。早い!急傾斜!長い!もう、早いと言ったら早い。ピョンと飛び乗る、さっと飛び降りるっていう感じです。でも、おばあちゃまも、つえをついたひとも、子どもを連れたお母さんもへいきです。後ろを向きで彼女と話している男の子もいます。私は、完全に腰が引けていました。

 美味しかった。一番最初にチェコで食べたクラッカー。チェコ航空の機内で出た、塩とチーズがきいたクラッカーなのですが、美味しかったのでお土産にしました。ビールに合うわ、と皆さんに好評でした。

安くて美味しいビール。たくさん飲めない私ですが、いろいろ試してみました。味が濃いお料理が多いので、合うんです!最後に、フランクフルトの空港でもいただきました。

 美しかった。音楽が聞こえてくるような風景。旅行者の私に親切にしてくださったプラハの人たち。小学生の時、テレビで見た体操の女王、民主化のためにおくられた厳しい人生をひめたチャフラフスカさんの笑顔。

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平成2369()、プラハのスメタナホールで開催された「第4回国境なき合唱団チャリティコンサート」に参加して、今回も一生忘れられない体験をすることができました。

特に今回は、3月に起きた東日本大震災の影響で日本全体に重苦しい雰囲気の漂う中、団員一丸となって、本演奏会を大成功に導けたことに大きな意味があると思います。

<スメタナホール>

私は、第1回目のウィーン公演と前回のベルリン公演に引き続き、合唱ボランティアとして、「日本の歌」と「第九」に参加しました。会場は、映画「のだめカンタービレ」でも舞台となったスメタナホール。会場とその音の響きは映画をしのぐような美しさです。

           (スメタナホール)

<震災と練習>

練習は、3月から計8回、実行委員のIさんが新橋に所有されているビルの2階で開催されました。毎回練習終了後には、同ビル1階にある系列のレストランで懇親会を行い、合唱団員の親睦を深めることができました。

練習は当初、震災の影響で出席者はやや限られていたようで、私自身も自宅エリアが液状化して上下水道がしばらく止まったため、最初の2回は欠席せざるをえませんでした。しかし、時間の経過とともに出席者も増え、仙台や福島在住の団員も熱心に通ってこられるようになりました。今回も指揮者の佐藤一昭先生とピアノの原恵子先生による、粘り強く私たちを「楽しくのせる」ご指導により、無事に演奏会にのぞむことができました。

(プラハの練習会場The Civic Center Mlejnでのオーケストラあわせ。児童施設Child’s Smile 財団のために団員が持ち寄ったご寄付の品々もここで集められ、団員有志が同財団の施設を訪問、寄贈しました。施設からは、小さな子どもたちのためのウェットティッシュと絵本のご希望がありました。)

<演奏会大成功>

今回、ソリスト4人は全員、海外でも大活躍されている日本人の方々にお願いしました。指揮は前回のベルリン公演に引き続き、横島勝人先生です。

ソプラノソリストの蔵野蘭子さんと当合唱団員テノールのKさんとの結婚が現地練習会席上で公式発表され、団員一同で祝福しました。おめでとうございます !

           (スメタナホール客席から)

また、演奏会にはご来賓として、ご後援くださった在チェコ日本国大使館の國方俊男大使ご夫妻、そして東京・メキシコオリンピックの女子体操金メダリストのベラ・チャスラフスカさんをお招きしました。当合唱団にとってこれほど名誉なことはありません。

プラハ到着後、実行委員長の王野百合子さんと私の二人で、國方大使にご挨拶にうかがった際には、大使をはじめ館員の皆様から心のこもったあたたかいお励ましをいただきました。このようなご挨拶にうかがう中で、現地で要職にある日本人Kさんが急遽、合唱団バスのメンバーとして演奏会に出演されることになったのはうれしい驚きです。Kさんはなんと、わずか二日間で全曲を暗譜してスメタナホールの舞台に立たれました。演奏会当日は、日本大使館、現地日本人会、日本人学校などからもご家族づれで多数の方々がご出席いただき、熱心に応援してくださいました。

           (総練習開始前にスメタナホール合唱団席から)

音楽会が毎日多く開かれる欧米では集客に少々苦労するところですが、幸いプラハでも現地のお客様がたくさんお越しいただけました。

今回、当合唱団では、第一部の4曲目「大地讃頌」を日本再生のための祈りを込めて歌う歌として位置づけ、演奏前に指揮者の佐藤先生から会場の皆さんに英語とチェコ語で「次の歌の間、私たちと一緒に日本のためにお祈りください」と呼びかけました。第一部終了後は拍手が鳴り止まず、当団演奏会史上たぶん初のアンコールとして「そうらん節」を再度歌うこととなりました。

また、第九の後のアンコール(実はこちらは準備していました。) として、チェコの第二国歌と言われるスメタナ作曲「モルダウ」をオーケストラとあわせて歌った後は、ご来賓のベラ・チャスラフスカさんが起立されたのをきっかけとして、お客様全員が起立され、文字通り総立ちのスタンディング・オベーションをいただきました。

           (男声楽屋 あふれる笑顔)

(演奏会後の懇親会 チャスラフスカさんとお嬢さんを囲んで佐藤先生の指揮によりモルダウを合唱)

<初訪問のプラハ>

私にとってプラハは初めての訪問です。コートなどをトランクにつめ、寒さに備えて出かけましたが、現地に着いてみると東京よりも暑く、さっそく半袖シャツを買いに走りました。昼頃になると、暑がりの私には日向で歩いているのが大変なくらいの暑さのため、時差ぼけで超早起きになったことを幸いとして、ひんやりと心地よい午前8時前の街歩きを楽しみました。この時間帯は昼間、各国の観光客で大混雑するカレル橋付近も人影がまばらです。スメタナ博物館などの文化スポットも訪問できました。

          (スメタナ博物館の中 撮影料をお支払いして撮影する仕組み)

演奏会翌日は、世界遺産の中世の古都、チェスキー・クリムロフへ日帰りで行き、南ボヘミアの美しい町並みを心ゆくまで堪能しました。

          (クリムロフ城壁越しに見た、いつまでも眺めていたい町並み)

<おわりに>

今回、困難な環境の中、演奏会を無事に大成功させ、「アートボランティア」としての実をあげることができたのは、実行委員長の王野さんを中心として、実行委員、参加団員一同のチームワークと、主催されたエフエム東京、後援団体、協賛企業の皆様、近畿日本ツーリスト(knt ! )などの強力なご支援の賜物です。あらためてあつく御礼申し上げます。

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Century;mso-hansi-font-family:Century”>これからも合唱ボランティアとして皆様と歌声をつないでいきたいと思います。次の機会もぜひご一緒に歌いましょう。ありがとうございました。

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