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待ちに待ったプラハ公演のDVDが届き、早速再生しました。爽やかな風に吹かれたプラハの街角に立ち戻った心地で見入る内に演奏会の模様が現れました。スメタナホールの響きはどんなふうに観客に届いたのだろう。私のバスパートの存在感は?合唱全体のハーモニーは?と耳をそばだてる内に「日本のうた」が始まりました。

「国境なき合唱団」のことを知り、今回初めて富山県の県境から参加しましたが、3回参加した合同練習の初回で佐藤先生から日本のうたも歌ったらどうかと勧められ、思い切って参加することにしました。4曲ともややこしいところがあり、覚えるのに必死でした。 you-tube から取った合唱曲と送ってもらったカラオケを繰り返し聞き、ipodに入れてフライト中も聞き続け、本番直前にも確認して臨みました。それだけにこの「日本のうた」はとても気になるものでした。

「赤とんぼ」が静かに情感を込めて滑り出し、「ふるさと」は多くの願いを込め、慈愛と強い意志を表現できたようです。軽快・巧緻な「そうらん節」 は佐藤先生の指揮に緩急ぴったり合い、思いがけないアンコールにもしっかり応えていました。「大地讃頌」ではダイナミックな原先生のピアノをバックに各パートが競うように力一杯伸びやかな声を響かせ、「がんばろう日本」を支えているように感じました。何度聞いても心に響く合唱になっており、我な がら一員として歌ったことに満足を覚えました。

第九はこれまでにも何度か歌っていますが、毎回特徴づけるものがあり感慨も少しづつ異なります。世界に名だたるスメタナホールの合唱席に立って会場を見渡し、チェコ室内フィルと歌ったことは生涯の思い出となりました。そして最も心を打たれたのは「モルダウ」です。合唱だけで練習していた時と違い、フィルの壮大な演奏が始まって私たちの歌声がのり、ユニゾンならではの一体感と力強さがうねりとなって琴線に触れ、耳に入った途端思わず涙がこぼれました。雄大かつ優しさに満ちた旋律をフィルと合唱のコラボが奏で、こんなに深い印象を与えることを一人の観衆になって味わいました。

ツアー直前に義父の様態が悪くなりやむなく女房はドタキャンしましたが、合同練習には一緒に参加していました。練習後の懇親会で、女房は新潟から今回初参加というK子さんと話がはずみ、K子さんは同じ新潟から参加しておられるAさんに一切をお任せして付いて行くとのことで、私たちも一緒に行動しようと誘われて喜んで従うことにしました。成田で仙台からのMさんとも名のり合い、その後一緒に本当に贅沢な、そして珍道中ともいえる旅が始まりました。思い出に特に印象的だったことをいくつか書いて見たいと思います。


・ウイーンの街、美術史博物館

ウイーンの午後はフリータイムになり、横浜のH子さんも加わってAさんに引きつれられ美術史博物館に行きました。ここからはAさんのガイドぶりに唖然としっぱなしでした。有名なブリューゲルの「バベルの塔」についての解説はもちろんのこと、次から次と表れる絵画について宗教的な背景から絵のポイントまで深い深い説明があり聞く方も大変です。しかも、次の角を曲がるとこんな絵がある、と言われるので以前来られたことがあるのか聞くと今回が初めてとのこと。一体どれだけの事前調査があったのかと舌を巻くばかりです。ただ、調べる方の身にはなっても聞く方には(とりあえず私には)まるで空念仏の 如しでした。大理石で包まれたここのカフェーも豪華でした。ウインナーコーヒーやアイスクリームの解説を聞き、豊かな気持ちで味わいました。

オペラ座前の広場に腰掛けて道行く人を眺めた後、ゲルトナー通りをシュテファン寺院までぶらつきました。街頭演奏やらアクロバットパフォーマンスを眺め、孫にもってこいの簡単なおもちゃを買い、しまいにオペラ座でベートーベンとモーツァルトのマグカップを買いました(これは帰国後の素敵な日用品になりました)。

時間があるので市電で一回りしようということになり、ちょっとマップで調べた後えいやッで乗り込みました。回りの人が切符の買い方を教えてくれました。市電は途中で乗り換えなければなりません。Aさんと私とで乗り換えポイントの見方が違いましたがAさんに譲りました。結果は下車した後おろおろすることになり、この頃から現地判断は少しづつ私の方に移って行ったように思われます。

美術史博物館のカフェー   ゲルトナー通り      市電で遊覧

・黒ビールにワインに料理

私は心に残るイベントがあると1枚のA4サイズのレリーフにして残すことにしています。今回いくつか選びだした写真は1/3がジョッキーを掲げているものになりました。ブラティスラバ城の高台レストランの明るい陽光と爽やかな風の中で交わしたビールや街頭レストランでの一杯。特にプラハのビアハウスの肉料理と黒ビールは最高でした。アコーディオン演奏に日本の曲をリクエストし、立って一緒に合唱し、ゆっくりと会話を楽しみました。 話題は多岐にわたり様々なうん蓄が飛び出し笑いが絶えません。2時間で引き上げるつもりが軽く4時間を超えてしまいました。

合唱ツアーのレリーフ

   プラハのビヤホールで乾杯  パリの街頭で乾杯


・極上のカフェ

プラハでは男3人、朝5時にホテルを抜け出て旧市街やカレル橋を散策し、おおよそ街の概要を把握しましたが、ぜひともヴァーツラフ広場は見ておかなければならないとのAさんの言葉に従って午後の自由時間に5人で向かいました。プラハのシャンゼリゼとも言われる700mの大通りです。プラハの春の後ソ連軍の戦車が入り込み、ヤン・パラフが焼身自殺した場所であり、1989年のビロード革命では100万人が集うなどなど歴史上数々の出来事がありました。

  

      ヴァーツラフ広場

広場の突き当たりに見上げるばかりの豪奢な建物があり、Aさんによれば有名なプラハ駅だとのこと。プラハ駅は私も是非訪れたい場所だったので早速向かいました。立派な石段をMさんと登りな がら、線路はどこだろう、ちょっと変だね、と言って受付の太っちょおばさんに「ここは駅ですか」と聞くと、おばさんはたちまちクスッと笑って「美術館ですよ」とのこと。私たちも大いに笑いました。その後Aさんは皆を集め、すましてヴァーツラフ広場の解説をはじめました。

プラハ駅は芸術的にも価値ある有名な建物です。左に折れると500m程のところにあることが分かり向かいました。中央にドーム型の天井を持ち、回廊にはいくつも彫塑がしつらえてありますが、今駅務は地下に移ってしまい、ドーム内の時計は止まったまま、とっくに忘れ去られた佇まいです。簡素なテーブルとイスが数席ぽつんと置かれ人影もありません。かろうじて飲み物があることが分かり、奥の店員を呼びコーラを注文しました。座って眺 めまわすうちに映像が鮮明になりとても懐かしさがこみ上げてきました。40年前の凍てつく中、放浪の途中で私はプラハを訪ねたことを話しました。カレル橋の漆黒の人像は半身こびりついた真っ白な雪におおわれ水墨画のようでした。プラハの春の3年後、街中にはソ連軍の戦車が飾られ、夜、人のいない真っ暗な旧市街の広場では情宣用の8ミリフィルムが音もなく壁に写しだされていました。すっかり帳が下りたプラハ駅に降り立ち、3日後の深夜便でベルリンに向かいました。深夜の駅はコートに身を包んだ大勢の人であふれ、乗車時刻を待って一人片隅にたたずむ若き日の自分の姿が目に浮かびました。Mさんはうなずきながら「ここは極上のカフェだね」と言いました。

 

  シックなプラハ駅構内         極上のカフェ


・料理学校での「ふるさと」

パリに入る前、”のだめ”のロケが行われたというシャトー・ドゥ・ヴィニ―に寄りました。中世の物語に出てくるようなこじんまりとした城です。ツルバラをはじめ赤白の花が咲き乱れ、堀の水面には城壁が絵のように写り、広々とした庭には大きく枝葉を広げた巨木が立ち、静かなたたずまいは渋い落ち着いた雰囲気を醸し出しています。ここは城ごと日本の料理学校が買い取って料理教育に使用しており、日本からも数十名の若者が住み込みで腕を磨いているということです。場内を見学した後、私たち一団のためにレストハウスに昼食が準備されていました。高卒間もない研修生たちが料理し、給仕も研修生です。またも昼のワインを頂き、研修生の話を聞きながら料理を味わい至福のひと時を過ごしました。私は「お返しにふるさとを歌おう」と言いました。Aさんが前に立って指揮を始めるや、訳もなく涙があふれ出し歌も途切れ途切れになってしまいました。私は、年がいくと涙もろくなってしょうがないなと心の中でうそぶいていました。

       
   シャトー・ドゥ・ヴィニ―       勢ぞろいでご挨拶
      
        Dコースの皆さんと

・パリの地下鉄

地下鉄を使ってルーブル美術館に行こうということになり駅に行きました。販売機でのチケットの買い方が分かりません。5人5様で試みましたが現地判断では私の方が勝っていました。子供の操作を眺め、マウスならぬローラー式の選択器で画面を操作して購入にたどり着くことができました。ルーブルでAさんの解説をたっぷり聞き、教養を膨らませた気になった後、再び地下鉄駅に戻りました。ここでミスが発生しました。構内はいくつも枝分かれしていますが、先頭を行くMさんの後を皆疑いもせずについて行きました。ホームでは浮かれて撮影などして、やって来た列車に乗り、3つ目の駅で降りて地上へ出たところどうも風景が違うような気がしました。丁度通りかかった絶品のパリジェンヌに”ここはどこ”と聞いたら優しく英語で地図を示して答えてくれました。全く逆方向に来ていることが分かりました。Mさんは平謝り、Aさんは安全を見てタクシーで帰ろうと言いましたが私は、逆戻りすれば間違いなく帰れると言ってさっそうと先頭に立ちました。この時同行していた府中市のKさんは、日本を出る時旦那さんから絶対に地下鉄など乗るなと言われていたけれどいい土産話ができたと喜んでいました。

                  使えば便利なパリ地下鉄

・セーヌ川ナイトクルーズ

今回、期待の一つはセーヌ川ナイトクルーズでした。夕張下りる頃船は滑り出し、フランス料理とワインに軽やかなシャンソンで心は自然に浮き立ちます。Aさんはフランス語で枯れ葉を歌い出しました。両手を広げ口を突き出し、いっぱしの歌手気取りが様になっています。Mさんは軽く合わせて指揮を取り、K子さんは少しワインが入ってうっとり顔です。歌い終わった時には思いっきり相好が崩れました。期せずも後ろのお客さんから拍手が起こり、一層上機嫌です。では、ということでいよいよ合唱団の本領発揮となりました。3曲、4曲と歌い、もともとあやふやなところもあり、後半はだみ声やら消え入るやらで終わりましたが、それでもパチパチと拍手を貰い、歌ったことで満足でした。岸辺の灯りが際立ってくる頃、船上ライブの歌声は一層軽やかになり、ダンスも始まりました。客の中に我が富山県出身の新婚さんがおり皆で祝福しました。ライトアップされたエッフル塔を眺め、満たされた心地で船を降りてからも、私はバスにたどり着くまで体をゆすりながら鼻歌でシャンソンを歌い続けていました。

     

            優雅なクルージング      

・良縁奇縁

相田みつをの言葉に「そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある よき出逢いを」というのがあります。いい体験をしたこと以上に、この合唱団を通じて得た皆さんとの触れ合いはまさに奇跡の出会いのようです。帰国後の8月初旬、5名に加え、今回ドタキャンした私の女房も入れて6名が新潟のAさん別邸に集いました(Aさんはこの同舟庵を皆さんで大いに活用して欲しいとのことです)。

地元の特産品を持ち寄って話がどんどんはずみ、写真やビデオなども見ながら、日が替わってからも延々と談笑が続きました。この合唱団を通じてもっともっと隔たりのない交流が広がって行けばいいなと思っています。王野さんの熱意と奇跡的な巡り合わせでこの企画が実現したことをホームページで知りました。参加する私たちもこの奇跡を大いに活かせていけたらと思います。

        

          帰国後の交歓(新潟市山裾の邸にて)

このほかににもいろんなことがあったように思いますが、帰国後すべてをギュッと凝縮してエッセーにしてみましたので最後に記します。

それでは皆さん、またお会いしましょう。


<スメタナホールでの第九>

客席にはベラ・チャスラフスカさんがいる。日本大使を始め大勢の現地の方がドレスアップしてチェコ室内フィルが奏でる重厚なベートーベンの響きに聴き入っている。いよいよ第4楽章、ティンパニの連打の後一瞬の静寂、ソリストが高らかに「おお友よ」と歌い出した。一気に集中力が高まり「国境なき合唱団」に応募した80余名と共に第九の合唱が始まった。

定年退職を迎えた時「今後の夢」を書き出してみた。その一つが夫婦でヨーロッパの第九に参加すること。機会は思わぬところから飛び込んできた。 昨年、黒部で「レクイエム」を歌った折りの指揮者横島勝人先生からの案内だった。先生はこのチャリティーコンサートで指揮を執ることになっていた。労せず巡ったチャンスに迷わず申し込んだ。

プラハが世界に誇るスメタナホールの響きは切れるように清明だ。遥か星座に一筋の祈りを届け、声を揃えて世界を歌う。私のバスパートは8名と心もとないが、それだけにしっかり役割を果たしている充実感がある。合唱の持つ敬虔な響きを心に感じ壮大なフーガを経て、シラーが表した歓喜「美しい 神の炎」を精一杯歌いあげた。アンコール曲「モルダウ」はチェコ人の「ふるさと」。雄大な旋律は大合唱となってこだました。真っ先に立って拍手を 始めたのはチャスラフスカさんだった。次々とスタンディングオベーションが広がり場内は歓呼に沸いた。

演奏会、打ち上げ、訪問地でのハプニングや旧知の友の様に感じた仲間との数々。次はどの街で歌うことになるか、楽しみが一つ加わった。

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