­

皆様、こんにちは。こにでございます。「こにめも」2回目の今日は、今年のチャリティコンサートツアーの会場となるコンツェルトハウス・ベルリンの話をしましょう。
 
## 尚、最初にお断りしておきますが、この投稿で使う写真は、すべてウィキメディア・
## コモンズで公開されているフリーユースのものばかりです。いい時代になったね。
 
劇場というのは祝祭感覚に溢れた非日常空間です(^^)。海外に身を置くのもまた非日常空間です。その二つを掛け合わせ、あまつさえ、現地のオケとステージに乗って一緒に第九を歌う。これって、ちょー祝祭的非日常体験なわけで、国境なき合唱団の醍醐味は、参加申込書を一枚書くだけで、世界の超一流コンサートホールのステージで、この祝祭的非日常を体験し、そこで集まった募金が世界の子供達の役に立つということ。
 
一昨年はウィーンの楽友協会、昨年はシンガポールのエスプラネード、今年はどんなホールかな?というのが、皆さんの興味の的だったのではないかと。このHPの「コンサート詳細にプログラムと会場の解説、「出演者プロフィール」に今年、御一緒させて頂く指揮者さんとオーケストラの解説がありますが、自分でもっと調べてみるのもワクワクするものです(^^)。
 
   まずは外観の写真。いかにもドイツ的で、いーなー。

  で、夜ともなるとこんな感じ。

  
「ベルリン一美しいといわれるジャンダルマン・マルクト広場。その中央に建つ壮麗な建物」、な~んてガイドブックに書いてあるわけですが、どこよ、それ?(^^;)。この前も書いたけど、ベルリン行ったことないのよ、あたし(^^;)。というわけでGoogle Maps先生にお伺いを立てるわけです(笑)。
 
今回のツアーパンフレットの表紙を飾る、東西ドイツ統合の象徴、ブランデンブルグ門。そこから東にプロセイン王宮跡まで延びるウンター・デン・リンデン(菩提樹の下)通り。名前通り、菩提樹並木の大通りまっつぐ行くと、左手に森鴎外が留学したフンボルト大学(ベルリン大学)、右手にダニエル・バレンボイムが総監督を務めるベルリン国立歌劇場(わーい)。その手前を右に折れて2ブロックくらい行くと、このジャンダルマン・マルクト広場に出るようです。ブランデンブルグ門から直線距離で約1kmということなので、日比谷公園から歌舞伎座までくらいの距離感?たらたら歩いて20分くらいといったとこでしょうかね。
 
王宮、国立歌劇場、大学というキーワードでお分かりの通り、この地域は古くからベルリンの中央に位置する行政区で、丁度、東京の中央区みたいなものとか。実際、現在はミッテ区と呼ばれてますし。つまりはプロセイン王の時代からベルリンの文化・行政の中心だったところなのだそうです。ちなみに、第二次世界大戦後、東西ベルリンに分割されていた間は東ベルリン地区でした。
 
で、なんか歩いてきた気分になって、このジャンダルマン・マルクト広場を眺めまわしてください。
 
360度ぐるぐる眺め回せるサイトはこちら
フルスクリーンにするとたのしーです(^^)/

 そーゆーのめんどー、という方むけに一枚貼っておきますがね(笑)。

  
さて、このコンツェルトハウス・ベルリンは、もとの名をシャウスピエールハウス(Schauspielhaus)というそうで、”Schauspiel”ってドイツ語で「演劇」のこと。ふむー、国立演劇場という名前だったのかー、っと、物の書物ならぬネットで調べてみると、その前は王立劇場、更にその前は王立国民劇場だったそうな。。。
 
なんでもフリードリッヒ・ヴィルヘルム3世の時代、旧王立国民劇場を、ブランデンブルグ門を設計した建築家ラングハンスの設計で建て直し、落成したのが1802年。1811年に王立劇場と名前を変え、この時から建物をシャウスピエールハウスと呼ぶようになったとか。1816年、この王立劇場で初演されたのが、E.T.A.ホフマン(!)のオペラ「ウンディーネ」。ところが、その翌年火災で炎失してしまい、有名な建築家にして舞台美術家のカール・フルードリッヒ・シンケルの設計で、1818年から1821年の4年の歳月をかけて再建されたそうです。(うむー、説明してても肩凝るなぁ^^;)

 
落成なった1821年、ここで初演されたのがウェーバーの「魔弾の射手」。ドイツ人作曲家によるドイツ語のドイツを舞台とした最初のオペラです。(モーツァルトの「魔笛」みたくドイツ語のジングシュピールは、それまでもありましたが、ドイツを舞台としたドイツ精神の発露としてのオペラはこの作品が初めてというのが通説ですね)。「ベルリンのオペラの歴史を飾る19世紀のクライマックス」なんて書いてる本もありますが、この本物のドイツ・オペラにベルリンの人達は大熱狂したとか。
 
ドイツ的といえば、1844年には、ワーグナーが「さまよえるオランダ人」を、ここで指揮しているそうで、ベルリンという街のドイツにおける位置付け、コンツェルトハウスの成り立ちを考えると、ドイツ的なるのも、むべなるかなです。
 
時は下って1945年、第二次世界大戦末期の空襲で破壊されますが、外観はシンケルの設計そのままに、コンサートホールとして再建されたのが1984年。そして再建10周年の1994年に、用途に合わせてコンツェルトハウスと改称されたのだそうです。はい、おつかれさまでした(_._)。
 
では、中に入ってみましょうか。どんなホールなんでしょう?o(^^)o
 
 白で基調とした、いわゆるシューボックス型のコンサート・ホールですね。
 響きもとても良さそうです。

 
 3階から観たら、こんな感じ。シャンデリアが、いーなー。

   
 で、このステージに乗るわけですねo(^^)o

   
もっと中を見たい方、こちらがコンツェルトハウスのHPです(^^)/。
 
ちなみに、2001年から2006年まで、ここを本拠とするベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(旧ベルリン交響楽団。今回の第九を御一緒させて頂くベルリン・シンフォニエッタの母体です)の音楽監督だったのは、エリアフ・インバル。インバルが本拠にしたステージで歌えるかと思うとゾクゾクしてきます。
 
で、こにさん、大事なことを忘れてやしませんか?、てなもんですが(笑)、肝心の第九とコンツェルトハウスという二題話です。
 
ツアーパンフレットにも紹介されている通り、ベートーヴェンの「第九」ベルリン初演が、1826年にここで行われています。そもそも第九は、1824年、時のプロセイン王、フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世(在位1797年 – 1840年)に献呈された作品なわけで、ベートーヴェン自身、ベルリンでの初演を希望していたと聞きます。そのヴィルヘルム3世の在位のうちに、ベルリンで初演を果たしたのが、シンケルの設計で再建なったこのシャウスピエールハウスだったのでした。
 
ところで、建物の写真を見て、劇場前に立つ像に気がつきました?誰あろう、これシラーの像なんですね。そう、「歓喜の歌」を書いた、シラーです。なぜここにシラーの像があるのか?由来は知りません(^^;)。誰か教えて下さい(;_;)。
 
そして、今回のコンサートツアーのきっかけともなった、1989年のベルリンの壁崩壊。1989年12月、ベルリンの壁崩壊を祝うバーンスタイン指揮によるベートーヴェン第九交響曲の演奏会が開催されたのが、このシャウスピエールハウスです。ロビーにはバーンスタインの頭像もあるそうな。今年の国境なき合唱団チャリティコンサートは、ベルリンの壁崩壊20周年を記念して、この歴史的な演奏会と同じ会場で、皆さんと一緒に第九を歌えるんですね(^^)。もう今から楽しみで仕方ありません(^o^)。
 
まだ、お申込みでない、あなた。 ここをクリックして申し込みするだけで、一緒にここで第九を歌えるんですよん(^^)。是非、御一緒しましょう(^^)/
 
ではでは、またね
こに
 
p.s. TANABATAのYOSSYさま、こちらこそお話できるのを、すっごく楽しみにしています(^^)。
  どうぞ宜しくお願いいたしますー(^^)/

zp8497586rq
2009年7月
« 6月   8月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031