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人生に一度あるかどうか、という感動が今回もまた、私をつつみこみました。
 
平成19年11月、私は子供の頃からの合唱好きが高じて、エフエム東京主催「国境なき合唱団」チャリティコンサートに合唱ボランティアとして参加し、ウィーン楽友協会大ホールで、第一部「ウィーンの歌・日本の歌」と共に、ベートーヴェン交響曲第九番「合唱」を歌う幸運に恵まれました。私にとって第九は、同15年6月、徳島県内で単身赴任中に参加した、鳴門(日本の第九初演地)での第九演奏会ではじめて歌って以来の合唱でした。ウィーンでは、世界一のホールでの演奏会はまさにホール自体が音楽を優しく育んでくれるものだと、心と体の底から震えるような体験をすることができました。これが国境なき合唱団とのご縁のはじまりです。
 
格調高い音楽の殿堂コンツェルトハウス
 私は昨年のシンガポール公演は残念ながら欠席しましたが、今回のベルリン公演は無事に再び合唱ボランティアとして、「日本の歌・ドイツの歌」と第九の両方に参加することができました。会場はベルリンで最も由緒あるホールの一つであるコンツェルトハウスです。

(演奏会場ベルリン・コンツェルトハウス)
 
ベルリンの音楽会場ではベルリン・フィルハーモニ管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーが特に有名ですが、総座席数2,200を超え、機能的なフィルハーモニーと比較して、コンツェルトハウスは一階席が約700席、三階席まで含めても1,400席程度と比較的小規模ですが中はきわめて格調高くまさに音楽の殿堂、とそれぞれの特色があります。音響については、今回のベルリン滞在中、コンツェルトハウスでは合唱団員として、フィルハーモニーでは同管弦楽団定期演奏会の観客として体験しましたが、いずれもホール自身が音楽を育むすばらしい名ホールであると感じられました。

(ベルリン・フィルハーモニーの前で佐藤先生、原先生、同志の皆さんと一緒に)
 
楽しく充実した練習
 一般論として下手な合唱団の二大特徴は、①音程が下がる、あわない、同じパートを歌っているはずなのに(ときどき現代音楽的に)ハモる、②出だしを間違えて、もやもやになるか輪唱になる、ことだそうです。私たちの合唱団もこの二大特徴をいくらか(?)備えていましたが、今回も指揮者である佐藤一昭先生とピアノの原恵子先生による、粘り強く私たちを「のせる」ご指導により無事、演奏会にのぞむことができました。国内での練習は、今回はJALが諸事情でスポンサーから離れられたため、その施設が使えず、港区内を中心として公共施設をあちこち回りましたが、同志の皆さんと共に元気に皆勤しました。
 
特に今回は実行委員のIさんが、練習会場のどうしても予約できなかった週に、新橋の所有ビルの一フロアを練習会場としてご提供いただくなど感謝感激でした。同ビルの一階にある系列のおしゃれなレストランで練習終了後、前祝いの祝杯を何度あげたことか・・。Iさん、この場をお借りしてあらためて、あつく御礼申し上げます。
 
本番で第九を指揮してくださった横島勝人先生のご指導も極めて明快で、そのお顔を見ているだけで指揮の意図が私なりによく理解でき、我々も心をあわせて歌うことができたと思います。Freudeの「出だしフライング大歓迎!」との御指示には大変驚きました。

(ベルリン初日の練習会場マックス・プランク中等学校にて。ドイツ国際平和村への御寄付の品々贈呈もここで行われました。)
 
心あたたかいオーケストラ
 第九のオーケストラであるベルリン・シンフォニエッタの皆さんも非常に心あたたかく、短い練習日数でしたが、一緒に有意義な時間をすごせました。どこのオーケストラにも驚くほど心やさしい人たちがいますが、今回の演奏会ではティンパニの元気なおじさんやビオラ首席奏者の好青年などとは、廊下などですれちがうたびに握手をして一言二言、挨拶をかわすことができる仲になれました。彼らから「うまくいっているよ」というようなことを言ってもらうと、お世辞が上手だなーと思いつつも、やる気がすごく高まります。卓越した指揮者の指導の下、オーケストラ合わせをし、すばらしいソリスト四人も加わって、ベートーヴェンの第九という大曲が音楽としてどんどん出来上がっていく過程を見ることは今回も最高の体験でした。
 
日独混成男声陣の大健闘
今回の演奏会はウィーン、シンガポールに次いで三回目ということで、参加者はきわめて熱心な方々が全国各地から集まりました。一方、人数はウィーンのときの約250人に比べて全体としてやや少なくなりました。テノールでは優秀な若手たちの新加入があったものの、男声バスは人数的に少々厳しい状況でした。このため、在ベルリンの女声アンサンブル「和(なごみ)」の皆さんの他、在ベルリンの日本人男声二人、現地ドイツ人合唱男声チームから八人ほどが第九を中心として応援出演してくださいました。おかげさまで、女声陣の声のなめらかさと厚さがさらに増したのに加え、手前味噌ですが、国境なき合唱団男声陣のめざす「青空のように透明感の高い安定したテノール、吸い込まれるような深いバス」の境地にさらに一歩近づくことができ、今回の充実した演奏会につながったと思います。


(演奏終了後の男声楽屋。あふれる笑顔)
 
 指揮者から合唱団への指示は、やむをえないこととは言え日本語中心となるため、ドイツ人合唱チームは当初かなり戸惑ったようです。日本人男声陣が折にふれて進行状況を英語で説明するなど、コミュニケーションに努めた結果、急速に仲が良くなりました。オーケストラと同様、人の良さそうなメンバーをまず見つけて積極的に笑顔で話しかけ、友情の輪をだんだん広げていくのがコツのようです。舞台で胸につけるお揃いの国境なき合唱団バッジを差し上げたところ大変喜ばれ、先方の合唱団バッジもいただきました。
 
終演後、ドイツ人チームのあるメンバーから私に「皆さんはどのように第九を練習し、暗譜したのですか。皆さんはプロの合唱団ですか。ベルリンで一月ぐらい滞在して練習してきたのですか。」などと質問がありましたので、「私たちは純粋なアマチュア合唱団で、私を含めて皆、本業を持っています。合唱団は二年前のウィーン公演で発足しましたが、演奏会前の日本での練習回数は九回程度です。ベルリンには今週月曜日に来たばかりで、五泊ほどの滞在です。」と答えたところ、非常にびっくりされました。単細胞の私はこれを彼らの私たちへの良い評価と素直に受け取り、がっちり握手をして別れました。もしかしたら「アマチュア」の概念が日独で違うのかもしれませんね。
 
演奏会大成功
 音楽会が多く競合する欧米では集客に少々苦労するところですが、今回、お客様も十分に入ってくださり、第九演奏終了後は、日本ではまず体験できない、欧州独特の床をがたがた踏み鳴らしながらの大拍手をいただきました。さて、どんな出来栄えだったのか、録音を聴くのがとても楽しみです。学生時代の試験のように「自分では百点近くとれたと思っても、戻ってきた採点では普通の出来(涙)」ということも考えられますが・・。
 
 今回、私は実行委員長である王野百合子さんのご指名により、実行委員の一人をおおせつかりましたが、私自身はたいしたこともできず汗顔の至りです。リーマンショック、新型インフルエンザからはじまって次々と押し寄せる大中小の諸問題に対して、驚異的な「粘る力」を発揮された王野さんを中心に、実行委員、参加団員一同がチームワークよくまとまり、主催されたエフエム東京、後援団体、協賛企業の皆様をはじめ近畿日本ツーリスト(knt!)の強力なご支援を得て、演奏会を無事に成功させると共に、「アートボランティア」としての実をあげる段階に至ることができたと考えます。すばらしい友人の皆さんとこの過程を体験できたことが私自身の最大の宝です。
 
ベルリンを初訪問して
 私にとってベルリンは初訪問でした。現地はほぼ好天でしたが、十月とはいえ外は日中でも5~6℃という日があります。その中で、オーバー、マフラー、手袋を着込んでブランデンブルク門の前で合唱できたのはとても良い思い出です。門前ミニコンサートを企画された王野さん、市当局と許可の交渉をしていただいたknt!の小林さんと仲田さん、ありがとうございます。当初、寒さと気恥ずかしさで少々躊躇しましたが、歌い始めてみると周囲の市民や居合わせた大道芸人の皆さんの反応が非常によく、盛り上がって歌えました。
 
 本年はベルリンの壁崩壊二十周年にあたります。自由時間に市内を徒歩と地下鉄で散策してみました。本合唱団ホームページブログで圧倒的な調査力と文章力を誇る「こにさんのこにめも」と「べしさんの現地レポート」は良い手がかりです。高校生のとき国語の授業で読んだ森鴎外「舞姫」ゆかりのウンター・デン・リンデン通りやクーダム周辺など、滞在をもっと延ばしたいと思うほど美しく趣の深い街並みがあり、多数の観光バスが走りまわっている一方、ベルリンの壁やホロコースト記念碑などで示されている重く暗い過去の出来事など、いろいろと考えさせられるものがありました。
 
(マリエン通りの森鴎外記念館)
 
音楽会についても、滞在中、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会やベルリン・ドイツ・オペラ公演に行く機会に恵まれました。中学生のときからその名演奏をレコードやCDなどで毎日聴いてきましたが、この年齢になってはじめてその実演を現地で堪能できたことは今回の演奏旅行で二番目の大収穫です。

(最先端の舞台作りに挑戦するベルリン・ドイツ・オペラ)
 
 これからも「子どもの笑顔は地球の宝」をモットーに、合唱ボランティアとして皆様と歌声をつないでいきたいと思います。次の機会もぜひ御一緒に歌ってみんな元気になりましょう。本当にありがとうございました。
 

                                             以 上

今年、まさに壁崩壊20周年の節目を迎えるベルリン。

1989年11月9日、民衆の力が東西分断の悲劇の時代を終わらせ、国境を越えて両国の人々が抱きあいました。

思い起こせば、私たち「国境なき合唱団」が第3回目のコンサート開催地を選ぶにあたって、あたかも吸い寄せられるように決まったのが「ベルリン」でした。

離れていたものが一つになる。
その力を体で感じ、音楽を通して表現したい。
そして平和の感謝を子どもたちと分かち合いたい。
誰もがそんな思いで準備と練習を重ね、ついにベルリンへ旅立ちました。

日本より少し寒いぐらいのひんやりと爽やかな、錦繍のベルリン。
昼間は練習の合間に壁20周年の準備に湧く、紅葉の美しい街を歩き回り、
夜ともなればマエストロや佐藤先生たちと共にビールグラスを傾け、語り、笑い、歌う。
本番という大きな目標はもちろんの事、こうした時間もまた国境なき合唱団の醍醐味の一つです。

さて、今年は初めて「プロモーション」という挑戦をしました。
まさに20周年記念式典でドミノ倒し(Youtube: http://www.youtube.com/watch?v=Fq7MStBtZxU)
のスタート地点となったブランデンブルグ門をバックに大合唱。
はじめはおっかなびっくりでしたが、ベルリンッ子達が大勢立ち止り、やがて人垣ができました。
スイスのテレビ局も取材に来てくださり、寒さも忘れて大盛り上がり。
コンサート会場とはまた違う楽しさを味わうことができました。

Photo:mano

本番会場・コンツェルトハウスの荘厳さはまさに圧巻。
かつてはシャウスピエールハウスと呼ばれ、ウィーン楽友協会と共にベートーヴェン存命中からあった歴史の重みを感じる舞台です。

第一部では日本の歌に加えてドイツの歌曲にはバッハの「主よ人の望みの喜びよ」と「ベルリンの風」を選びました。
「ベルリンの風」はご存知ベルリンフィルの夏の野外コンサート「ヴァルトビューネ」で毎年最後に演奏するお約束の演目で、ベルリンの方々も嬉しそうに手拍子したり、歌ったりして下さったのは本当に感激でした。

第二部の第九でのマエストロ横島のエネルギッシュで魅力ある指揮ぶりは、正面から見入る団員達にとても刺激的であっという間に四楽章だったとか。
現地の合唱団「和(なごみ)」の皆さんも加わっての歓喜の歌の大合唱は、3年目だけあって非常に落ち着いて力強く、円熟味を感じさせる演奏となりました。

Photo:mano

私たち国境なき合唱団団員は、皆胸に団員バッジをしています。
エンブレムの中に音楽への愛を表わす「竪琴」と、
ボランティア精神への愛を表わす「折り鶴」。

そのどちらをおろそかにする事なく、私たちはさらに国境を越え、
世界平和の祈りを込めて世界の舞台で歌い続けます。

私たちを支えて下さるすべての皆さまへ、心からの感謝を贈ります。
本当に、ありがとうございます!

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2009年も国境なき合唱団は世界の恵まれない子どもたちへ愛を届けるために歌いました。

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昨年の活動による寄付金のご報告を申し上げます。

<ベルリン>

寄付先①ドイツ国際平和村
ブランデンブルグ門・会場寄付金 239ユーロ27セント

寄付先②国境なき子どもたち
団員寄付金              325,000円
オプショナルツアー寄付金     72,000円
お土産サービス寄付金       32,021円
TTL        429,021円

<上野公演>
会場寄付金               74,540円
団員寄付金              237,600円
TTL                   312,140円

早速NPO法人「国境なき子どもたち」及びドイツ国際平和村へ全額寄付させて頂きました事を
ご報告申し上げます。

皆さまの温かいご支援に対し、心より御礼申し上げます!

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平和村担当の小笠原です。

あのすばらしいコンチェルトハウスでの演奏後、私はひとり別行動を取らせていただいてオーバーハウゼン市にある「ドイツ国際平和村」を訪問しました。

「私も行きたかった」というお声をいくつか伺っておりますが、平和村が内戦やテロ、地雷によって傷ついた子ども達のリハビリ施設であることと、ベルリンから交通機関を乗り継いで6時間近くかかる程遠い場所であったことを理由に、皆様には大きな声でお伝えすることなくひとりで訪問させていただきました。ご理解くださいね。

皆さんの平和村へのプレゼントは、コンサート当日には村の本部へ到着し、来週アフリカのアンゴラからドイツへ治療に訪れる子ども達へ配布されることはすでにご承知の通りです。このタイミングで衣類やタオルなどのプレゼントがあったことは平和村としてもありがたかった、とスタッフの方がおっしゃってました。

そして、皆さんにご協力いただいて作った千羽鶴は、平和村へ私が持参しました。
子ども達も興味津々で、「なあに、これは?」「千羽鶴だよ、平和って意味があるんだよ」といった会話が飛び交いました。
村内にある機能訓練室の天井からつるして飾りましょう、ということをおっしゃってくださいました。
(私がドイツ語に長けていれば、子ども達といろいろ話せたところですが、勉強不足で直接会話はできませんでした・・・。そのかわり、日本人スタッフの方がお話してくださいました。)

きっとつらいリハビリも、あの千羽鶴を見ながら気分転換をしてがんばってくれることでしょう。

平和村には9カ国から治療とリハビリのために子ども達が滞在しています。
幼いうちに親元を離れ、知らない土地で知らない言葉を話す人の中に入り生活しはじめたときはきっと不安だったことでしょう。
でも、そんなことを感じさせないくらい子ども達は元気に遊んでいて、国の壁を乗り越えて仲良く過ごしています。
そりゃあ、子どもですからケンカも時々あるみたいですけど。
決して喜ばしい状況ではないのだけれど、苦しさ、さみしさ、痛みとの戦い、そんな中でも子ども達同士で肩寄せ合ってがんばっている姿を見て私はとても大きなパワーをもらったように思いました。

20日の練習会場で、平和村のスタッフの方が見えて、皆さんにお願いされたこと覚えていらっしゃいますか?
「平和村という場所が存在し、そこで過ごしている子ども達がいることを忘れないでほしい。そして、ひとりでも多くの方に伝えてほしい。」
そうおっしゃってましたよね。

私たちにできることはそう多くはありませんが、でも何もしないよりはマシだと思うのです。

今回、みなさんにはたくさんのプレゼントをしていただきました。平和村を推薦させていただいた者として、心から感謝いたします。
さらなるお願いで恐縮ですが、ぜひ、平和村のことを皆さんの心の中に留めておいてください。どうぞ、よろしくお願いします。

最後に、平和村のスタッフさんからいただいたメールの一部をご紹介してご報告を終わりたいと思います。

『とても素晴らしい歌声を通じての、大変貴重なご寄付に
ドイツ国際平和村のスタッフ一同感謝の気持ちでいっぱいです。
一人ひとりの力が合わさると本当にすばらしいことができますよね。
なんだか初心に戻れ、今後仕事をする上で
とても重要なことを学んだような気がしています。

募金箱には、合計239ユーロ27セントが入っていました。
こちらはドイツ国際平和村の子どもたちのために大切に使わせていただきます。
また皆様より大変たくさんの貴重な物資のご寄付、
重ねまして心より御礼申し上げます。』

いつか、平和村のような存在が必要なくなる世界へと変わりますように。
そして、子ども達が私たちの力を必要とする間は、歌声を通して子ども達に笑顔を届けたいですね。

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