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前回のウィーンは「一生に一度のわがまま」と「チャリティで二度とないことなので」と会社へ言い月末の繁忙日を含む1週間休暇をとり参加したため今回は「一生に二度」ともいえず困りましたが、幸運にも3連休を含む日程だったことや王野さんから「仕事が忙しければ『釣りバカ日誌』の浜ちゃん方式でおじさんかおばさんのお葬式を出してでも参加するように。」と妙なハッパをかけられ、更に前回参加の何人かの方から声をかけていただき今回のシンガポールも参加しました。

 

1. 出発直前の出来事

(1)思いがけない出費

私はシンガポールが初めてでしたが、30年程前、家内は健在だった私の伯父から「シンガポールはきれいな街だから一度連れて行ってもらいなさい」と今となっては確認のしようもありませんが言われたらしいのです。以後、この事は特に話題にもならなかったのですが今回の参加となったため、あまり海外旅行が好きでない家内から突然「シンガポールってどんなところなのかなあ。連れて行ったと思って」と手を差し出され旅行費用と同額の現金を請求されました。おかげで急遽カードローンを借入れざるを得ず、次回の旅行積立金はローンの返済金へ回ることとなり、今後の私の資金計画は大幅変更を余儀なくされました。幸いオプショナルツァーと燃油サーチャージ分については気づかれず免れることが出来ましたが、我が家の女たちの悪口さえ我慢すればあとは何事もなくいけるだろうと考えていた私には出発直前の思いもかけない痛い出費となりました。

(2)Hさんからのメール
前回のウィーンも参加したHさんには、美声と正確な音程から練習や本番のとき私の隣でよいお手本になってもらいました。今回も参加され第1回の練習で再会し、少し風邪気味のようでしたがまた一緒に歌えることをお互い喜びました。しかし、その後練習には参加されないので気になっていたのですが、Hさんはイタリア歌曲を習うほどの実力の持ち主なので直接現地に行かれるのかなと思っていました。ところが出発前日の11月21日にHさんから思いもかけないメールをもらいました。不整脈と小さな声帯ポリープができ行けなくなったので成功を祈るというのです。ウィーン公演の直後からシンガポールも行くといっていたHさんにとっては大変無念だったと思います。幸い不整脈は快方にむかっているとのこと。
今回はHさんの分まで歌うぞと決意を胸に翌日成田へ向かいました。

2.佐藤先生、原先生の魅力

この合唱団の魅力は全員がボランティアであるとともに、なんといっても佐藤先生の指導と原先生のピアノです。佐藤先生の音楽に対する情熱と精力的な指導で私のような初心者でもなんとか本番のステージに立つことができました。また、私たち寄集め合唱団を明るい性格とジョークを交えた楽しい会話でわずか一ヶ月半という短期間の練習にも拘らず見事にまとめていただきました。前回のウィーンは楽友協会への憧れで行けるだけで満足という感じでしたが、今回は先生の指導により日本の歌も歌いみんなで「音楽を創り上げた」という充実感があります。また、日本の歌の選曲にあたっては、ただ曲がいいからだけでなく如何に合唱らしさをだせるかとの点から先生が熟慮し決定されるので今回は何を歌えるのかという楽しみがありました。原先生は、出発前の練習において体調がすぐれないときも私たちのために弾いてくださいました。秋川さんのファンには叱られるかもしれませんが、「千の風になって」はシンガポールよりも私はウィーンでの原先生のピアノによる鮫島有美子さんとさくらコアの方が好きで今だによく聴いています。特にピアノの間奏がなんともいえずいいのです。今回男声陣は、新たにKさんやMさんのご主人、長野のTさん等参加されましたが、まだまだ人数がたりません。両先生が実力のある人にはある人なりに、そうでない人(私のような)にはそうでない人なりに指導されますので是非多くの方が参加されるようお勧めします。ブログに掲載されたシンガポールの江崎さん、次回は是非ご一緒に!毎年10月になると、両先生の指導を受けられるのが楽しみでJALの本社に足が向かいそうです。今後ともご指導よろしくお願いします。それから言い忘れるところでしたが、「原先生の写真うつりは抜群ですね」と某タッキーが言っていました。私は間違っても原先生にそんなことは言いませんので念のため。

3.日本のうた

前回のウィーンでは、男性が少ないため佐藤先生から「『第九』だけでなく『日本の歌、ウィーンの歌』もどうか」と声をかけていただき私が好きなエーリッヒ・クンツの「ウィーンわが夢の町」も歌うというので悩みましたが、私の実力で「第九」と両方ではいずれも中途半端になってしまうと考え断念しました。今回のシンガポールは「日本の歌」も歌うことが参加条件だったので、やる気満々で申込みの電話をしたら王野さんから「丸さんは、『第九』だけでもいいですよ。」と言われ唖然。他の参加者でそのように言われた人はおらず、家内から「暗にオーディションの前に辞退をするようにってことじゃないの。王野さんは実力をよくわかっている。」と言われ一時落ち込みましたが、気を取り直し「練習は全部出て何としても日本の歌を歌うぞ」と固い決意のもと練習に臨みました。
第1回の練習では「川の流れのように」や「ふるさと」の中の「山は青きふるさと、水は清きふるさと」を歌った時には故郷を想い胸にこみ上げてくるものがありました。また、「赤とんぼ」の最後の「とま~あ~って い~るよ~ さおの~さ~き~」の部分では佐藤先生から「テノールは歌詞の情景を思い浮かべて歌うように。」と各パートの役割、重要性を指摘され合唱の良さ、面白さが少し理解できたような気がしました。他方、「ふるさと」と「赤とんぼ」は子供の時から頭にこびりついたメロディを払拭できず苦戦に苦戦を重ね、送られてきた練習用CDにあわせて歌うときはまだしもウィーンの時の日本の歌のCDに合わせて歌うとソプラノのメロディを歌ってしまい、ある時、どちらでもない全く楽譜に載っていない音程で歌っているのを聴いた家内と娘があまりの酷さに呆れ、「去年より酷い。それで本当に人前で歌うの。お父さんが歌うと気分が悪くなる。ぬか味噌が腐る。」とまで言われ、「ぬか味噌みたいな顔をして何を言う!」と言い返したいのをグッと我慢していました。また、前回は家での「第九」の練習時、ご近所に「お経」と間違えられましたが、今回は家内が、「ソーラン節の『ドッコイショ、ドッコイショ』を大声でやられたら『今年は土俵入りの練習ですか』とご近所から言われそうで恥ずかしくて外を歩けない」と言い出し、更に私が「川の流れのように」を気持ち良く歌っているのが余ほど癪に障るらしく、とうとう家での練習禁止令が出され、毎夜千葉県スポーツセンターの大駐車場に行き車の中で練習する破目に。駄目押しに、娘から「お父さん、『悪貨は良貨を駆逐する』って言葉を知ってる?

最善のケース:全部口パクで通すこと。(他の人に悪影響なし。)
次善のケース:全部ピアニッシモで歌うこと。(悪影響を最小限にとどめる。)
最悪のケース:調子に乗って楽譜どおりに歌うこと。(ウィルスを撒き散らすようなもの。)」

と前回のウィーン以上に罵詈雑言を浴び「我が家の女たちはどうしてこんなに次から次へと悪口がいえるのか」と疑問を抱きつつ「いずれ見返してやる。」との思いを胸に一人練習しました。

4.王野さん大変お世話になりました。

王野さんは、「女弁慶」といわれ私が一番頭の上がらなかった祖母と同じ亥年生まれだそうで、「肝っ玉母さん」のような王野さんから言われると何となくそうせざるを得ないような感じになってきます。でも王野さんは、私の祖母と異なり平安時代であれば間違いなく源氏物語にでてくるような美人だったと思います。昨年10月の日経夕刊記事のなんと「写真うつりのいい」ことか。(この一言を新聞発刊日に追伸メールしてしまいバトルが勃発。私からの休戦協定申し出も実らず、毎週JAL本社での練習では針のむしろに座らせられた心境でした。)あれだけのアップに耐えられる人はそうはいません。しかも国境なき合唱団の企画立案のみならず実務を一人で取り仕切っていただき我々一同感謝にたえません。ただ今回は一時体調を崩し入院されたとの由。我々もボランティア参加で全面支援しますので今後は健康に十分留意されあまり無理をされませんように!国境なき合唱団はこれからも続くのですから。お互い元気でバトルを続けましょう。私も失言(メール)には十分注意したいと思います。

5.シンガポールの人たちと

今回は、国内組だけでは男声の人数がたりずどうなることかと心配しましたが、シンガポール日本人会の人たちや現地の人たちと一緒に歌い文字通り「国境なき合唱団」となりました。シンガポールからわざわざ日本の練習に参加されるご夫婦もいる等意気込みはものすごく大変刺激になり、なにより男声が合唱らしくなりました。国内練習ではテノールが4人のときもあり私にとっては冷や汗ものでしたが、本番ではシンガポールの人たちが参加され心強いかぎりでした。オーケストラは、若いメンバーが多く練習の時は心配しましたが、欧州の完成されたオケとは異なりリム・ヤウさんの指揮のもとで若い人たちが本番には見事に仕上げ大きな可能性に好感がもてました。千葉には「千葉県少年少女オーケストラ」というユースオーケストラがあります。これがまたすばらしくつい応援したくなり毎年3月の定期演奏会にいくのですが、同様にリムさんが普段から若いオケを熱心に指導されている様子が目に浮かぶようです。今後の益々の活躍を期待したいと思います。本番のステージにあがる前の通路で待っている時、私のシャツのボタンが外れているのを注意してくれたシンガポール日本人会のソプラノの方、お礼もいわずに申し訳ありませんでした。また皆さんと一緒に歌える機会があればいいなと思います。

6.シンガポールの思い出

 
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・ シンガポール到着の夜、グルメ通の佐藤先生の案内でインド料理店へ行き美味しい料理を食べながら語り合いみんなでコンサートの成功を誓い大いに盛り上がった楽しいひととき。

・日本人学校の体育館では、クライシスリリーフ・シンガポールの人の講演を聞き地震や津波被害の実情と説明を受け援助やボランティアの継続が如何に必要かを再認識しました。またその後の練習ではリム・ヤウさんの指導をシンガポールの人たちと一緒に受け久しぶりに暑さでタオルが絞れるほど汗をかきいよいよ本番が近づいてきたとの思いを強くしました。

 


・シンガポールは、淡路島くらいの面積で資源のない小国ですが、教育水準が高く赤道直下にありながら街は緑が多く衛生的で若い活力のある国でした。中心街は銀座のように人や車の往来が激しく、マーライオンの周辺は高層ビルが建ち並び新宿や横浜のみなとみらいのようでした。また、オプショナルツァーでジョホールバルへ行きましたが、シンガポールはもともとマレーシアの一つの州だったそうで、優れたリーダーを輩出すると周辺国とこんなにも違うものかと思いました。

・小田原のSさんと一緒に参加したナイトサファリでは、車両に乗り食事をしながら園内を見学しました。ホテル毎の車両で天敵の王野さんとは一緒になるはずはなかったのですが、2人分の席が空いているとのことで我々2人が案内された席は、よりによって王野さんのすぐ近くに。しかも王野さんの周りにはうるさ型のKさんやOさんが陣取り、加えて原先生までいて厳しい視線を浴び美味しそうな食事も満足に喉をとおりませんでしたが、Kさんのご主人とお嬢さんが緩衝材になってくれたことが救いでした。時間を戻せるならば、別の車両でもう一度食べ直したいと思います。

・ 本番当日の夕食は各自が用意し楽屋でとることになっていたので伊勢丹に買出しに行ったところ元気なMさんの奥さんたちとバッタリ出会いました。日本人用に和食もおいてあり私は「お稲荷さん」を買いました。お箸がないので彼女がレジに依頼してくれましたが、「丸さん、有料だって。お箸はいらないでしょ。」の有無を言わせぬ一言でなしに。このため夕食は蝶ネクタイ姿で「お稲荷さん」を手づかみで食べる破目に。この姿をタッキーが写真に撮ってくれこれも忘れられない思い出となりました。
 

・「第九」の本番では、私は最前列で荒川のSさんの隣だったのですが、第1楽章の後半からSさんはなんとコックリをしているのです。なにしろ指揮者の正面なので私も焦り肘でつついたり蹴飛ばしたりしたのですが効き目がありません。コックリしながら徐々に浅く座り目立たず実に巧妙なのです。

そうこうしているうちに第3楽章になるとSさんの眠気がうつったのか私も眠くなってきました。ウィーンの時は木の椅子だったので痩せてしまった私はお尻がだんだん痛くなり「早く第4楽章になれ、バリトンソロ早く立ってくれ」と心の中で叫び眠るどころではありませんでしたが、今回はステージ後方の2階客席なので座り心地が良く眠気は増すばかり。膝をつねったり自分の足をけったりしましたが、一向に治まりません。それでも第4楽章に入るとSさん共々バッチリ目覚め精一杯歌いました。帰国後の新年会で佐藤先生にこのことを報告すると呆れて「次回は絶対に木の椅子にする。」といわれました。考えてみれば暑い体育館での朝からの練習やシンガポール大学での夜間練習。その他にも夜の観光や遅くまで同宿の人たちと語り合う等「第九」が子守唄代わりになる要因が重なっていました。次回はこのようなことの無いよう注意したいと思いますので佐藤先生、木の椅子だけはご勘弁を。


7.べートーヴェンはやっぱり凄い

大晦日の午後2時から元旦の午前1時過ぎにかけて上野の東京文化会館でベートーヴェン交響曲全曲演奏のコンサートがあり行ってきました。演奏は小林研一郎さん指揮、N響メンバーを中心に読響、新日フィル等の首席奏者が加わったイワキ・メモリアル・オーケストラ。マラソンコンサートなので途中の出入り自由で、ロビーでは栄養ドリンクやコーヒー等が配られたり、血圧測定が行われる等他では見られない光景がみられました。私は知人のアドバイスもあり夜食用に「おにぎり」を持参し、席は途中で居眠りをしても周りに迷惑をかけないですむのではないかと考え学生時代によく行った最も安い5階席だったのですが周りは熱心な音楽ファンばかりで空席もなく、何にもまして演奏がすばらしく居眠りなんてとんでもないことでした。一曲毎に休憩があり、その間に三枝成彰さんの解説や各パート奏者へのインタビューでベートーヴェン演奏の苦労話などが聞けました。その中でコンサートマスターの篠崎史紀さんが第一、第二ヴァイオリンの実例を挙げ「第九」Qの8小節からのところは初演当時オケは楽譜どおり弾けなかったそうです。現在はどうかとメンバーが実際に弾いてくれましたが、プロがソロでも難しいのに合奏であわせるなんて神業に近いものでオケの進歩がよくわかりました。また、コントラバスの人は「ラスト45秒なんか楽譜どおりに弾くのは不可能で苦笑いするしかない。(勿論、演奏中は真剣な顔で一生懸命だそうです)ベートーヴェンは耳が悪かったせいか演奏家の限界など考えないで作曲していたのでは」とか、フルートの一戸さんは「去年の交響曲全曲演奏では6番以降になると唇が切れ血が出て絆創膏を貼って吹いていた」そうでそれほど演奏家にとっては過酷なものだそうです。演奏は3、5、7番が印象深く、特に7番はまだ8番と9番が残っているのに大丈夫なのかと心配になるくらいの熱演に拍手がなりやまず、コバケンさんがまだ後があるからとオーケストラを無理やり引き揚げさせるほどで全ての聴衆が喝采をあげました。最後の第九はアマチュアの武蔵野合唱団がコバケンさんの指揮の下、ゆったりしたテンポのMコーラスを堂々と歌いきり、プロに一歩も引けをとらない演奏に周りの人も「本当にアマチュアか」とびっくりしていました。私たちの良いお手本になるのではないかと思います。 コンサートが終わった後も初めて会ったとは思えない周りの人たちと感想を述べ合いながら帰路につきましたが、ロビーでは篠崎さんやチェロの木越さん達が見送り演奏をしてくれ終わったときは大歓声で文化会館がディスコにでもなったかのような大変な騒ぎで日本でもこんなコンサートがあるんだと感心しました。私は大学卒業以降一昨年までは「第九」を専らテレビで聴き、生の「第九」は30年以上聴いていませんでしたが、去年は、1月、8月そして大晦日に聴き、更に11月にシンガポールで歌い「第九」に始まって「第九」で終わった年となりました。こうして去年の年越しは生の「第九」を聴きながら爽快な気分で新年を迎えました。全曲を聴いてあらためて感じることは、これだけ中身の濃い曲を一人の人間が作るなんて、このコンサートのタイトルどおりやっぱり「ベートーヴェンは凄い」。指揮者の朝比奈隆さんが「モーツァルトが天上の音楽なら、ベートーヴェンは『人間のすべて』です。」と言っているとおり、ベートーヴェンは人間の尊厳、生きることへの希望と勇気、そして「第九」ではシラーの詩に託し愛と歓喜を確かに伝えていました。このコンサートは、今年も開催されるそうなので病みつきになりそうです。もっとも既に家では女たちが私のことを「第九オタク」とヒソヒソ言っていますが。興味のある人がいましたら一度聴いてみてください。

8.次回もぜひ

今回のシンガポールも参加して大変よかったと思います。最初は「ウィーンと比べるとアジアでは?」と思いましたが、街を見て歩き、シンガポールの人たちと交流し、会場のエスプラネードも歴史こそないものの、佐藤先生から説明があったとおり欧米の名だたるホールに勝るとも劣らないものでした。ドリアンをかたどった近代的な外観とは反対に、内部はダークグリーンを基調にした落ち着いた雰囲気でアジアにもこういうホールがあるのかと驚きました。やはり実際に行って見なければわかりません。

「国境なき合唱団」のコンサートは「第九」と「日本の歌」の組み合わせですが、このようなコンサートは世界中探してもない最高の組み合わせだと思います。特に今回の「日本の歌」では1曲終わる毎に拍手までの数秒間の静寂はウィーンでは見られず、シンガポール在住の日本人の方たちが遠く離れた地で故国を想う感慨に浸っているのではないかと思うと意義深いものだと考えます。

私はいつの日か実現すると思われる「国境なき合唱団 in TOKYO」の日まで歌い続けたいと思います。動機が少し不純ですが、ボランティアと我が家の女たちをギャフンといわせるために。

ありがとうございました。

 


追伸
○ご連絡とお願い
前回も「私のウィーン音楽紀行」と題し本ブログに掲載させていただきましたが、我が家の女たちから一部不適切な表現や事実と異なる点があると再三にわたりクレームがありました。私の意に反しますがこれ以上抗しがたく指摘事項を記載させていただきますので、原文の方が良いと思う方は「丸ブログ訂正不要」の旨記載し事務局の王野さん宛メールをいただければ幸いです。その他のメールは一切不要です。ブログの指摘ヶ所、指摘部分と指摘内容(指摘理由)は次のとおりです。

タイトル「私のウィーン音楽紀行」→「私のウィーン漫遊記」(珍道中で音楽紀行なんておこがましい)
§3 「コンサート三昧」→「居眠り三昧」(居眠りばかりでコンサート三昧なんてよく言える)
§4 「親切なウィーンの人達と要注意の外国人」→「親切なウィーンの人達とカモ親父」(詐欺師か注意の外国人からこの日本人なら絶対ひっかかると見込まれ)
§5 「口うるさい我が家の女たち」→「いつも的を射た指摘をする我が家の女性」(我が家は男より女性が賢い家系なのです。)
§6 「可愛げのない娘」→「目の中に入れても痛くないほど可愛い娘」(恥ずかしいからって本音を言いなさい)

 

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